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主日宣教 「良い導き手であるイエス」 2010年8月1日


 松下 信 牧師
ヨハネの福音書4:1−26
さて、今朝はイエスさまの初期の伝道の様子 (サマリヤ伝道) から学びましょう。
イエスさまはお昼ごろ、旅の疲れとのどの渇き、そして空腹を覚えながら、ヤコブの井戸の傍らに腰を
おろして休んでおられました(4−6節)。 やがて、ひとりのサマリヤの女が水を汲みにやって来ました。
イエスさまは 「わたしに水を飲ませてください」 と言われました。 この時代、ユダヤ人がサマリヤ人
にことばをかけることや挨拶することはほとんどありませんでした。 「あなたはユダヤ人なのに、どうし
てサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」 とのサマリヤの女の質問に対して、イエス
さまは答えられました(10節)。 


イエスさまは生ける水、罪をきよめる真の生ける水をお与えになるお方です。 イエスさまは、「生ける
水」 つまり新しいいのちについて語られましたが、女にはイエスさまの語られたことを理解することが
できませんでした。 女は理解できませんでしたが、渇くことがない水、この井戸まで汲みに来なくても
飲むことができる水に魅せられました。 日盛りの暑さが厳しいときに、ヤコブの井戸まで水を汲みに
来ることは、彼女にとって非常につらい仕事であったことが分かります。 それでも、なくてはならない
大切な水を汲むためにヤコブの井戸にやってきたのでした。 ですから、その水が欲しくなって求めまし
た。


これに対してイエスさまがおっしゃった言葉は、女の罪の核心に迫るものでありました(16−18節)。
イエスは彼女に言われた。 「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」(16節)。 イエスさまは、
彼女の一番弱い部分にメスを入れられました。 心の暗闇に触れられたくないのが私たち人間では
ないでしょうか。 女には大きな罪がありました。 自分の醜さを誰にも知られたくなくて、人目を避けて
ひっそりと生きていました。 ですから、井戸に水を汲みに来るのも、ま昼の時間を選びました。 普通
なら、夕方の涼しい時間を選んで水を汲みにやってくるものです。 できることなら水汲みはしたくなかっ
たのですが、水がなくては生きてゆけませんから、仕方なく人目を避けて井戸まで来たのでした。  


そんな彼女の罪 (彼女は今までに5回離婚し、6人目の男とは同棲している) を明らかにし、その罪から
目を逸らさないでそれをしっかりと受け止めるために、イエスさまは非常に重要な質問をなさいました
(16−18節)。 ここで女はまた話題を変えます。 話は礼拝の話題に移り、新しい礼拝、そしてメシヤ
(救い主) へと展開して行きます(19、20節)。 最後に、女はメシヤ (救い主) と出会い救われました。


【 結 論 】  
福音を宣べ伝えるとき、大切にしなければならないことは、「その人の必要は何か?」 です。
伝道は、聴くことから始めなければなりません。 また、福音宣教にとって最も大切なことは、伝道する
対象者であるその人を愛することです。 
イエスさまがサマリヤ人の女を愛し、彼女を永遠の命の祝福に導いたように。
伝道の最大の秘訣、それは愛することなのであります。   
                                           
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