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主日礼拝 「求めなさい」  2016年6月5日

 松下 信 牧師
マタイの福音書7:7-12 
Ⅰ.祈らないことは、神へのひどい侮辱である。  
あなたは 「祈らない罪」 を犯していませんか。 あなたはそれがどんなに罪深い状態であるかに気
づいていません。 150年前、南アフリカでオランダ改革派教会の牧師として活躍したアンドリュー
マーレーは、「祈らないことは、神に対するひどい侮辱である。神は、『わたしのところに来なさい』
と招いておられ、神と親しく交わるなら、この上ない栄光と救いを見出すに違いない。それなのに
たった5分間しか祈らない人が何と多いことだろうか。『神と交わる時間がない』ということは、神
へのひどい侮辱である」 と語っています。 

Ⅱ.求めなさい。そうすれば与えられます。  
私たちは幼子のような素直な信仰に立ち返って、祈ろうではありませんか。 私は祈りこそがすべ
ての問題を解決する道であると信じています。 人が救われるのも、霊的な成長へと導かれるのも
すべては祈ることから始まります。 一人ひとりが「祈りの祭壇」を築き直して、私たちの信仰生
活の中心に「祈り」を取り戻すことで、神さまがこれを喜ばれ、人々を救いに導かれます。
 この礼拝堂に多くの人々が呼び集められ、あふれます。 教会が聖霊に満たされ、主の御名を
ほめたたえる祝福を夢見ようではありませんか。 祈祷会にご自分の意思で参加してください。
一人で祈ることができない方にとって、祈祷会は祈ることを学び経験できる訓練の場なのです。
一人で祈りの生活を維持することができる意思の強い方がどれだけいらっしゃいますか。 牧師以
上に時間をかけ、密室の祈りをささげている方が、どれだけいらっしゃいますか。 「仕事が忙しい
から」 「時間がないから」 「座っていられないから」・・・、これらは祈らない人の単なる言い訳にす
ぎません。 神さまは私たちが求めるなら、喜んで与えてくださいます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7:7)と約束しておられるとおりです。
イエスさまは、従うすべての人々に喜んで与えられるお方です。

Ⅲ.祈りは豊かな実を結ぶ力である。  
もし、祈りが聞かれないなら、神さまに問題があるのではなく、私たち人間の側に問題があるので
す。 それは私たちの諸々の罪です。 祈りが聞かれないなら、「私に問題があるのではないか」 と
問うべきです。 罪赦された者の祈りは主に受け入れられ、豊かな実を結びます。
祈りは豊かな実を結ぶ力です。 A・J・ゴードンは、次のように言いました。 「あなたがたは祈った
あとで、祈り以上のことをすることができる。 しかし祈るまでは、決して祈り以上のことをすること
はできない。」

【 結 論 】  
教会に求められていることは、幼子のように素直な心で祈ることです。
「必ず聞かれる」と信じて天のお父さまに求めましょう。祈りは必ず聞かれます。
  「求めなさい。そうすれば与えられます。 ・・・・・・だれであれ、求める者は受け、
   捜すものは見つけ出し、たたく者には開かれます。」
(マタイ7:8、9)

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