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主日伝道礼拝 「唯一の道、イエス・キリスト」 2022年5月15日

 廣坂洋行伝道師
ヨハネの福音書 14章6節
 主日伝道礼拝において、「信仰の道」というシリーズで宣教のことばを聞いていく。
すでにこの道を歩み始めた者たちも、これからこの道に加わろうという者たちも、共に
信仰をもって旅するこの道の景色を楽しんでゆきたい。

I. 唯一の道
 キリスト教の信仰は「道」である。 この道を行かねば、神のみもとへは行くことはでき
ない。 キリスト教信仰はしばしば排他的だと言われる。その指摘はもっともだろう。
聖書は、神が唯一であると述べ、その唯一の神にしか救いはないと明言している。多様性
が重んじられる現代社会で、「この道しかない」というのは大胆な発言だ。
しかし、本当に大切なものはわずかである。いやひとつだけである。
 私たちの生きるこの地、この時代は、いろいろな「神」がいて、いろいろな「道」があ
るように見える時代かもしれない。 けれども、その多様性は果たして私たちに救いや希
望となっているのだろうか。 むしろ、選択肢の多さは、不安で心をさわがせている私た
ちの内面を映し出しているだけなのではないだろうか。 そのような私たちにキリストは
「わたしを通してでなければ」と言われる。「この道を選ぶなら、だれひとり、迷うこと
なく、行くべき所にたどり着くことができる」とはっきり語られる。

II. 真理の道
 道であるイエス・キリストは「真理」である。このお方の道を、選ぶなら、私たちは迷
うことなく、父なる神のみもとへと行くことができる。 なぜなら、この唯一の道である、
イエス・キリストは神ご自身で、神のもとから私たちのところへと来てくださったからだ。
このお方は何か偉業をなしとげて、「カミ」と呼ばれるようになった聖人君子ではない。
「カミ」となった人ではないのだ。 その逆、人となった神なのである。神御自身が私たち
のところへ来てくださったのである。 だからこそ、人となられた神、イエス・キリストは
父なる神のみもとへ向かう「道」たり得る。 このお方にとっては父なる神のみもとへ向か
うことは、やってきた道を帰るようなものなのだ。 しっかり私たちのもとへ来られた神は、
しっかりと父なる神のみもとへ戻ることができるのだ。 今度は共に行く私たちを連れて
まっすぐ行かれる。

III. いのちの道
 イエス・キリストと共に行く道は「いのち」である。 このお方はこの世界にいのちを与
えたもう創造主である。聖書は「はじめに神が天と地を創造された」 と始まり、まことの
神がこの世界をお造りになられたとはっきりさせる。 この世界は偶然に生じたのではなく、
父なる神の聖なるご計画のもとに造られたのだと聖書は述べる。 その天地創造の際に、
御子キリストは父のそばで共におられた。 御子なるキリストが世界の創造のはじめから
おられた「ことば」なのである。
 そして天と地とその中にあるすべてのものを造られたキリストは、十字架にかかり、そ
の三日目に死を打ち破り、復活なさった。「わたしはよみがえりです。 いのちです。
わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」 この約束のことばを伴って、十字架で死な
れたキリストは、よみがえられた。キリストの道を行く者は、死と滅びに向かうのではな
く、いのちと希望に向かって生きる。死を死で終わるものとしてではなく、復活の希望を
もって死を通過点として受け止められるようになるのである。
  「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、
   だれも父のみもとに行くことはできません。」
教会はこの主イエス・キリストの道を行く。 共にこの道を行こう。

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