HOME  牧師メッセージ

プロテスタント宣教
150周年記念礼拝
「生涯を福音のために」 2009年8月2日


松下 信 牧師
マタイの福音書28:16−20  
神奈川、長崎、新潟、兵庫などの開港場の居留地において、キリスト教の礼拝が認められ
て150年になります。
1853年にアメリカのペリー提督は、アメリカ合衆国大統領の親書を携えて幕末の日本に
やってきました。 その結果ついに日本は開国し、1858年に日米修好通商条約が結ば
れました。 これに基づき、翌年アメリカの宣教師たちが禁教下の日本(キリスト教解禁は
1873年)に次々とやってきました。


その中で、へボン 、ブラウン、フルベッキ等がよく知られています。 彼らは豊かな賜物を
持った、すぐれた宣教師たちであり、本国での恵まれた生活を捨てて、禁教下の日本に命
がけでやってきました。 このように初期の宣教師たちは、福音を伝えるために、多くの労
苦と犠牲を惜しみませんでした。 彼らは日本語を学びつつ、英学を教え、医療宣教を行
いました。 そうした労苦の結果、日本人の回心者が次々と与えられました。 宣教師たち
が始めた私塾はその多くが今日に続くミッションスクールとなっています。
M.E.キダーはフェリス女学院を創設しました。M.P.ブライン、L.H.ピアソン、 J.N.クロスビー
の3人は共に横浜共立学園の創立者です。 またC.A.カンヴァースは捜真女学校の基礎
を築きました。 今朝はこの捜真女学校の基礎を築いたC.A.カンヴァース(Clara Adra
Converse, 1857〜1935) について、お話させていただきます。
   ( 「横浜開港と宣教師たち――伝道とミッションスクール」
     横浜プロテスタント史研究会 編有隣新書から引用 )  


クララ・A・カンヴァース はN.ブラウン(1807-1886)の死後、その夫人シャーロッテ・ブラ
ウンが始めた英和女学校、のちの捜真女学校の校長となるため、アメリカ婦人バプテスト
外国伝道協会から派遣され、1890年(明治23年)1月25日、横浜に到着しました。
彼女は1857年4月18日、米国ヴァーモント州南部のグラフトンで、農業を営む父ニュー
トンと母メァリの8番目の子どもとして生まれました。 弟が幼いとき世を去ったので、クララ
はそのまま末っ子として家中の者にかわいがられて育ちました。 クララの父ニュートンは
物堅い清廉な人、清教徒の子孫らしく黙々と農耕にいそしんでいました。
母メァリは慈しみ深い信仰の人、子どもたちを幼い頃から教会へ連れて行き、「人は外の
顔かたちを見、主は心を見る」 と教えました。 このように堅実な信仰を持つ両親から受け
た家庭教育、とくに 「神を敬い、人を愛して世のために尽くし、人の心の友となる」 という
母から受けた精神はクララの一生を貫いたのであります。 小学校卒業後、ランドルフにあ
るヴァーモント州立師範学校に進学、1873年6月に卒業し、16歳でグラフトンの小学校
教師となりました。 


しかし、当時アメリカの教育界に影響力を及ぼしていたスイスの教育家ペスタロッチの 「人
間愛に基づく教育理念や感覚を基礎にして心を働かせる指導法」 などに感銘を受け、さら
に自らの教養を高める必要を感じ、大学まで進学するのです。スミス・カレッジ卒業後、26
歳でヴァーモント州視学となりますが、1年後には母校ヴァーモント・アカデミーに招かれ、
教師となり、ギリシア語、ドイツ語、修辞学、数学を教えました。 単に学識や能力が優れて
いるばかりでなく、その信念に満ちた、魂をゆさぶらずにはおかない人柄が、学生たちに
及ぼす感化は顕著で、校長や学監の信頼も厚く、前途に期待をかけられていました。
カンヴァース自身も母校を愛し、熱意をもって誠実につとめていました。


ところが、しばらくすると、彼女は自分には何かほかになすべきことがあるのではないかと
感じるようになりました。 何度も祈り、ついに心に決めたことは、宣教師になることであり
ました。 かつてヴァーモント・アカデミーの学生であったとき初めて抱いた外国伝道の夢を
、今、実現したいと思いました。 しかし、宣教活動や宣教師のことについて十分な知識は
もっていませんでした。 また、「人の魂をキリストに導くというような特別な熱意は少しも起
らなかった。 それは私の能力の遠く及ぶところではないように思えたから」 と彼女は述べ
ています。
しかし、1888年8月、父の死に会い、その遺体のかたわらに立ったとき、天の父なる神を
特に身近に感じ、神の道を伝えに外国へ行けとささやかれたような気がしました。
彼女は耳をふさぎ、その呼びかけから逃げようとしました。 しかしその声は次第に大きく
なり、ある夜、彼女は宣教師にならなければ自分は神にそむくことになると確信しました。
宣教師の仕事や未知の国に対する不安を取り除くことができないまま、祈りを重ね、熟慮
の末、1889年5月、カンヴァースは、ヴァーモント・アカデミーに辞表を出し、アメリカ婦人
バプテスト外国伝道協会に宣教師志願を申し出たのであります。 それは、ブラウン夫人
が教育宣教師派遣を要請した直後でありました。


こうして、クララ・カンヴァースは、サンフランシスコを1890年(明治23年)1月7日に出港
し、1月25日に横浜に到着し、「英和女学校」 の第二代校長に着任したのであります。
彼女は1935年1月24日天に召されました。 満77歳9ヶ月、日本に滞在した期間は45
年間でありました。
なぜ命をかけ異郷の地で人々に仕えることができたのか。その原動力は教育であります。
彼女は優れた教師たちと出会い、優れた人格教育を受けました。 また家庭教育、信仰教
育がすばらしかった。 神と両親と家族に愛されて育ちました。 信仰と希望と愛に満ちた
家庭で育てられることは、いかに必要なことでしょうか。


復活されたイエス・キリストが弟子たちに語られた大宣教命令は、信仰と希望と愛の中で
育まれ成長した若者たちの心を捉えました。 神の栄光を現わす崇高で偉大な福音宣教
の働きに従事させるために、キリストの大宣教命令は大きな動機付けになりました。


【 結 論 】
今、世界は未曽有の経済危機の中にあります。 また日本は多くの家庭が崩壊し、凶悪な
犯罪が頻発しています。 今、この日本に必要なのは、まさに神様の愛と慈しみではない
かと思います。 私たちは 「神の愛とイエス・キリストにある永遠のいのち」 を大胆に宣ベ
伝えなければならないのであります。 (マタイ28:16〜20) 
また、幼いときに、子どもに愛を注ぎ、みことばを心に植えつける教育がどうしても必要で
す。 
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれて
いるのは愛です。 愛を追い求めなさい。
(Tコリント13:13、14:1)
                                           

ページTOPへ