主日礼拝 | 「揺るがない土台」 | 2017年1月8日 松下 信 牧師 |
マタイの福音書 7章24節~27節 | ||
Ⅰ.序 時代は徐々に暗闇に近づいています。 でもキリスト者は暗闇の向こうにある光を信仰の目をもってしっかりと見ようではありませんか。 それは永遠のいのちです。 天の御国への希望です。 そしてイエス・キリストの愛の中に生かされて いる祝福なのです。 Ⅱ.どこに家を建てますか イエス・キリストは人生を家にたとえてみことばを語られました。砂の上に建てられていた家は、雨 が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けると、倒れてしまいました。 人生に試練・困難などがやって来た時、生きる希望を失って挫折してしまう人々の姿をたとえていま す。 イエスさまはこのような生き方は愚かな人のそれであると言っています。 対照的な生き方は岩 の上に建てられた家です。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けても、その家は 倒れませんでした。人生に試練・困難などがやって来た時、落ち込み動揺するでしょうが、すぐ立ち 直って生きることのできる人々です。 試練を感謝し、それを肥やしとして喜びをもって生きる人々 です。イエスさまはこのような生き方は賢いそれであると言っています。 Ⅲ.揺るがない土台の上に イエスさまは、「愚かな人と賢い人」 を以下のように評価して比べています。 「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に 比べることができます。わたしの教えを聞いても、それを行わない者は愚かな人だ」というのです。 対照的に「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人 に比べることができます。 わたしの教えを聞いて、それを行う者は賢い人だ!」 というのです。 みことばを聞いて、心にそれをたくわえている人は、試練がやって来た時、みことばを実践すること ができます。 このような人は、揺るがない土台の上に人生という家を建てた賢い人なのです。 【 結 論 】 聖書のみことばを聞いて、それを行うことは、た易いことではありません。 『わたしは無力です』との告白によって、私たちは罪赦される存在であることを知るのではないでし ょうか。 イエスさまが私の罪を赦してくださったゆえに、私は、初めて神さまの御顔を拝し、神さま の御懐に抱かれるものとされるのです。揺るがない土台の上に建て上げられた人生は何と幸いなこと でしょうか。私たちは霊的に弱く貧しいものですが、勇気をもって神様により頼みましょう。 神様はすべてにおいて豊かなお方です。みことばが証言しているとおりです。 「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んで おられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの 貧しさによって富む者となるためです。」(コリント第二8:9) |