主日礼拝 | 「何事にも時がある」 | 2017年2月5日 松下 信 牧師 |
伝道者の書 3章1節~11節 | ||
書名「伝道者の書」は冒頭に記されている言葉「伝道者のことば(ヘブル語でコーヘレス)」 から付けられました。3章の「・・・時がある」のみことばから学びます。本書の全体を通して、 伝道者は神を恐れることの大切さを教えています。 心に留めたいものです。 Ⅰ.何事にも時がある 時間とはいったい何なのでしょうか。未来はここにありません。今ある現在も、瞬時にして過去 となります。時は流れて行きますが、私たちはその時がどこから来て、どこへ行くのかを知りませ ん。 わかっているのは、私たちは今、時間と共に生きているということだけです。 私たちにとって時とは友好的であり、上手に付き合い利用するなら、私たちの思い通りになるも のでしょうか。 それとも、私たちの願いとは異なり、むしろ私たちの思い通りにならず、私たちを 失望させ、悲しませるものでしょうか。 すべての事には時があります。定めの時であります。人はみな定めの時に生まれ、定めの時に死 んで行きます(2節)。人は時に支配されているように生きていきます。しかも、その定めの時は、 人の目には隠されているのです。 Ⅱ.すべて時にかなって美しい 人間は時の流れの中に生かされています。 人間の営みは神の摂理のもとにあるのです。 「時」を支配しているのは人間ではありません。神なのです。しかし人間にはそれが分かりません。 理解できないのです(11節)。 私たちは有限であり、必ず死ぬものです。しかし、神はこの人間に 「永遠への思い」 を与えられました。 時間を越えて、過去と現在と未来を問う能力を与えられま した。 世界の初めから終わりまでを知りたい、見極めたいと思う心を与えられました。 しかし、人間はすべての時にかなって美しい神のみわざを見極めることはできません。 永遠なる神のご計画は、私たち人間には不可解であります。 Ⅲ.罪と死から解放される唯一の道は神を恐れることである そして再び、『伝道者』は快楽主義という現実的な価値観に帰ります(3:12.13)。永遠を つかさどる神と、死という定めの中に存在する人間の間に深遠な淵があることを実感するときです。 そして『伝道者』は神の永遠性を見、人間は神を恐れる以外に、罪と死の淵から、むなしさという 現実から解放される道はないことを知るのです。 「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わ らないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこ のことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。あることは、すでにあったこと。これから あることも、すでにあったこと。神は、追い求められたことをこれからも捜し求められる。」 (3:14.15) 【 結 論 】 「伝道者」 は伝道者の書全体をとおして神がない人生はむなしい、神を否定する人生は「空の 空だ」と教えています。彼は人生のあらゆる事柄を取り上げて「人生のむなしさ」を述べていま す。 そして結論として断言していることは「神を知れ、神のことばによって生きよ、神を恐れ歩め」 (12:13)なのです。 |