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「みことばは蜜よりも甘い」     2014年2月2日


 松下 信 牧師
詩篇19篇9−11節 
ご飯やパンを食べていのちを保つように、神さまのことばである聖書を糧として霊的いのちを
保つことは、キリスト者にとっていかに大切なことでしょうか。
聖書は 「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。 蜜よりも私の口
に甘いのです。」
(詩篇119:103)と、神のみことばがどれほど甘くて美味しいものであるか
を教えています。 聖書を読むこと、みことばを聞くことが、いかに幸いであり素晴らしいことで
あるかを示しています。 しかし、どれだけの人が毎日聖書を開いて、神さまの語りかけに耳を
傾けているでしょうか。


みことばに 「主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。 主のさばきはまことであ
り、ことごとく正しい。 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の
巣のしたたりよりも甘い。また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを
守れば、報いは大きい。」
(詩篇19:9−11) とあります。
「みことばは蜜のように甘い」 と言うけれど、聖書を読むことはどうして必要なのでしょうか。
みことばは霊の糧です。 人間の心や魂にも栄養が必要であります。 心や魂が飢え渇くと、力
がなくなり弱ったり病気になったりします。 毎日肉体に食物が必要であるのと同様に、心や
魂にも、日々霊的な食物である神のみことばが必要なのです。 みことばに取り組むためには
、はじめ努力が必要です。 聖書通読にチャレンジしておられる、下川友也先生 (当教団の元
理事長)は、「努力するって、信仰なんだ!」 と言っておられます。 どんな習いごとであっても
最初は抵抗があります。 ピアノ、サッカー、クラシックバレー、またソフトボールでもそれを習
い始めた時は面白くありません。 同じことを何回も何回も繰り返すだけですから、面白くない
のは当然です。
聖書の面白みや素晴らしさを理解できるようになるのも、時間がかかります。 聖書を読まな
ければなりません。 「みことばは蜜よりも甘い」 と断言できるのは、よく聖書を読んでいる信
仰者です。 農家の方々が作物を育てるのに、どんなに多くの苦しみを味わっておられること
でしょうか。 天候という変化しやすい状況のもとで、細心の準備と手立てをし、日々の平凡な
労働の繰り返し、積み重ねがあってはじめて、秋の収穫が楽しめるのです。


目標を立てて聖書という世界の最高峰を征服して、その目標を成し遂げるという快挙を達成
してみませんか。 できるだけ、若い時の方がいいと思います。 歳をとればとるほど、聖書を
通読することが難しくなるからです。


【 結 論 】
聖書を読む一番の理由は、これがあなたを救い、いのちを与えてくれるものであるからで
す。 「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために
有益です。 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられ
た者となるためです。」
(Uテモテ3:16、17) と、パウロは語っています。
ぜひ聖書を読んでいただきたいと願っています。


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