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主日礼拝 「関係の回復を」 2017年10月1日

 松下 信 牧師
エレミヤ書8章4節-17節
Ⅰ.預言者エレミヤの南王国ユダへの派遣  
 神の民であるイスラエルはソロモン王ののち、北王国(イスラエル)と、南王国(ユダ)に分裂し
ました。 背信的な歩みを続けた北王国はアッシリヤによって滅ぼされました(紀元前721年)。
強力なアッシリヤの勢力は南王国にも迫りましたが、滅亡は免れました。 主のみわざによるもので
あり、ヒゼキヤの信仰による祈りの結果でした。 彼の死後55年間の長期間にわたり、マナセ王が
エルサレムで南王国を治め、国は最悪の状況を迎えました(紀元前696-641年)。
 このような状況がなお続いたとき、民たちは当時8歳であったヨシヤを南王国の王として立て、
周囲の人々の協力を得て荒れ果てていた神殿の修築工事など国内の宗教改革に着手しました(紀元前
622)。エレミヤはヨシヤ王の治世の13年(紀元前627年)に預言者として召されました。
召された時、エレミヤは20歳前後の青年であったと思われます。 エレミヤの預言者としての働きに
もかかわらず、南王国は神を畏れ主の御心を求めることもせず、次第に霊的に下降線を描き、滅亡に
向かって転がり落ちて行きました。そして紀元前586年にバビロンの王ネブカデネザルによって
滅ぼされました。 預言者エレミヤはこのような世代の著しい変遷の時代に、しかも国を治める者たち
が神の声に聴かず、その律法に心を向けないでこの世の権力者の権力に心を奪われている社会に、
神の真実を語り、神の審判を告げなければなりませんでした。
 神のことばを語っても、語っても、イスラエルの民は聞く耳を持たず、エレミヤの心は悲しみとむ
なしさに満たされてゆきました。

Ⅱ.背信の民エルサレムへのさばきの宣告
 エレミヤ書2章から25章までは 「ユダとエルサレムに対する災いの預言」が語られています。
そして今朝の聖書箇所は「背信の民であるエルサレムとその子孫に対する嘆き」が宣告されています。
主権者であられる神さまはエルサレムが罪を犯しても、悔い改めないので、彼らに厳しい刑罰を与え
ると、語っておられます。 (1)4節-7節には「悔い改めないエルサレム」。
(2)エルサレムは 「私たちは知恵ある者だ」 と自認しているが、知恵ある者とは主の御心に従い、
いのちを得るものではないか」 と主は仰せられます(8節-9節)。(3)エルサレムが受け取った
報酬はみじめなもの(妻を奪われ、財産を失うことなど) でした。 主のことば、主の教えを退けた
からにほかなりません(10節、11節)。(4)エルサレムは主に背き、逆らい、不信仰不従順で
あり、罪を犯し続けたにもかかわらず、少しも恥ずかしいとは思いませんでした。 恥ずかしいと感じ
る感情も麻痺していて、よろめき倒れ滅びる以外に道はありませんでした(12節-15節)。

【 結 論 】
 キリスト者もエルサレム同様神さまから離れるとき、祝福を失います。不信仰の罪によって私たち
は汚され、ますますきよい神さまに近づくことができなくなります。
罪を悔い改めて、主に罪を赦していただきましょう。イエスさまから「いのち」を受け取りましょう。
主との関係を回復しましょう。主と和解しましょう。 兄弟姉妹との人間関係の回復もしましょう。
互いに罪を告白し、和解し、愛し合う喜びを経験しましょう。   

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