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恵みのゆえに  2008年9月7日

松下 信 牧師
エペソ人への手紙2:8−9
「北島康介が水泳で二冠を獲得した。しかもアテネに続いて」。 「北京オリンピックで三試
合連投の413球を投げ、強靭なパワーとその笑顔に隠された精神力で、ソフトボール日本
女子を金メダルに導いた上野由岐子はすごい!」  私たちが北島康介選手や上野由岐子
選手などを称讃し、また尊敬するのは、彼らの行いのゆえです。
私たちがこの世の中で評価する基準は 「行い」 なのです。 何をしたか、どれだけ立派な
仕事を成し遂げたかなのであります。


皆さんは、ただ床の上で一日中寝ているだけで、何もできない人であっても、人間として価
値があると思いますか。 「価値があるのだ」 と神さまは言われます。
たとえ、植物人間といわれるような状態の中にあろうとも、神さまはひとりの価値のある尊
い存在として受け入れてくださるお方です。  私たちはこの世に生まれたとき、両親の世話
になりました。 ひとりでは何もできなかったからです。 起きる、寝る、食べる、飲む、お風
呂に入るなど、すべてのことでお世話になりました。 今、「ひとりで大きくなったよ。 だれ
の世話にもなってないからね。」 という顔をしている立派な大人でさえ、かつてはオムツを
替えてもらっていたのです。 


私たちはひとりで生きていると思っていますが、なんと多くの人々に支えられ助けられて生
きていることでしょうか。 いや、「生きている」 のではなく  「生かされている」 ということ
に気づかなければなりません。 私たちは自分の意思で生きている者はひとりもいません。
生まれるのも死ぬのも、すべて神さまのご意思(みこころ)なのです。 すべての人間は年を
とり、老いて人々のお世話になり、人々に支えられ見守られて死んでゆく存在なのです。 
また、救いが一方的な神からの恵みだとすれば、私たちは何も誇ることはできません。  
栄光の冠である新しいいのちを受けて、魂の救いを得るとき、私たちは、ただ、ただ、神の
恵みとして、それを感謝して受け取ればいいのです。


神さまのみ前に心の目が開かれると、私たち自身から出ているものはひとつもなく、すべて
が創造主からの贈り物であることを発見します。 記憶の良さも、知恵も、知識も、音感の
よさも、運動神経のよさも、そして、私たち自身の肉体やいのちも、また私たちの信仰でさ
えも神さまからのもの。 神さまからいただいてないものは何ひとつないのです。
すべてが神さまからの恵み、・・・・・それゆえに、だれも誇ってはならないのであります。


【 結 論 】
今朝、私たちは神の恵みのゆえに救われた者であることを覚えましょう。
神に造られ、愛されていることによって、私たちは自らが価値ある者であることを知るので
す。 生かされている恵みを感謝いたしましょう。 自分を誇るのではなく、神を誇る者とな
りましょう。
今朝、W・H姉が恵みのゆえに救われて、洗礼にあずかられることを心から感謝致します。
 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」 (エペソ2:8)


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