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みことばを理解した結果 2008年10月5日


下山田耕一副牧師
ネヘミヤ記8:1〜18
「民は読まれたことを理解した」(8節)。 礼拝に向ける姿勢はみことばの理解に大きく関係
があります。 みことばを聞き、主のみこころを知り 「理解する」 と、自分の罪深さに気付
き悲しい現実に泣きたくなる、という応答が生まれます。 裁きを招き、滅びるべき存在で
あることを痛感するからです。 
実際にこの民が律法の書を聞いたとき、なぜ約束の地にあるエルサレムを再建しなけれ
ばならなかったのか、その原因を知りました。 それは、不信仰ゆえ律法違反の繰り返しの
結果でした。 自分たちが何か特別な事業を成功させたなどという栄光ではなく、再建せざ
るを得なかった祖先の歴史が赦されて、再び礼拝の民とされている事に恐ろしささえ感じま
す。 


しかし 「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。
泣いてはならない」(9節) と宣言されました。 そればかりか、聖別された聖なる日として、
「上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。 何も用意できなかった者にはごちそうを
贈ってやりなさい」(10節)。
みことばは、認罪が目的なのではありません。 そこからの回復が目的なのです。 神のもと
にこそ、みことばにこそ、赦しと再出発が備えられているのです。 
私たちの礼拝も同じです。 みことばは、時に罪深い自分に気付かされ私たちを悲しくさせ
ます。 しかし、それが大事なのです。 贖罪、今日これは、イエス・キリストの十字架でなさ
れます。 礼拝は罪赦される時でもあります。 そして、喜び分かち合う日なのです。 


続いて礼拝でなされる儀式や教会の諸集会についても考えてみましょう。 
「すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるた
めに、学者エズラのところに集まって来た」(13節)。 そこで見出したのは、仮庵の祭りに関
する律法でした。 するとすぐにおふれを出して、7月の間中、仮庵に住まなければならな
いとしました。 民はすぐにこれに応じて、山に行き、材料を拾い集め、仮小屋を造りました
。 この祭りは、イスラエルの民が出エジプトをして約束の地に入るまでの間、神の養いの
途絶えなかったことを覚える神様が定めた記念行事でした。 このみことばの応答は、
「自分たちのために」 と書いてあります。 形式上の形を真似るということではなく、そこに
ある神様の意図、この祭りの趣旨を理解した結果の応答です。 


省みて、私たちのみことばを聞くという姿勢はどうだろうか? 
みことばを聞く会が始まりました。 すでに何度か行っています、参加してはいかがでしょう
か。 みことばは、時に心の奥に届き、罪に気付かせます。 いたいほどに、悲しいほどに、
刺さるときがあります。 しかし、悲しんではいけないのです。 むしろ、喜びなさい。 主を
喜ぶことはあなた方の力だからです。 そして、みことばを理解した応答が愛餐会です。 
赦されていることを喜び合うときです(12節)。 


聖餐式、月に一度の定例行事などと思わないでください。 自分自身で形骸化させてはい
けません。 この趣旨は、自分の罪が確かにイエス・キリストによって赦されているという保
証です。 みことばが定めた一つ一つの意味を良く汲み、応答することが、喜びに満ちた信
仰生活を送る大切なカギなのです。


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