HOME 牧師メッセージ


(鈴木邦俊師追悼)
「明日への希望」 2009年3月15日


松下 信 牧師
ヨハネの福音書11:1−29
2月25日(水)からレント(受難節)が始まりましたが、今、私は大切なお二人の兄弟姉妹を
失って、深い悲しみの中にあります。 肉体的にも精神的にも、霊的にも弱っています。


2月26日に鈴木邦俊師は北里大学病院に入院されました。 翌日27日に川嶋康子姉は召天
されました。 そして3月11日に鈴木邦俊先生も召天されました。 お二人とも私にとって
大切な方でした。「神さまどうして?あまりにも早すぎます」 と祈りました。
ここ2〜3週間は祈る力もなく、落ち込むことが多い毎日を過ごしてまいりました。  


さて、ある人が病気にかかっていました。 ラザロという名のベタニヤの人でありました。
ラザロはマルタとマリヤの兄弟であって、この三人の兄弟姉妹はイエスさまから愛されてい
ました。 彼は病気になり死んでしまいました。 マルタやマリヤにとって兄弟の死は深い悲
しみでありました(19−22節)。 マルタはイエスさまにラザロが病気であることを知らせま
したが、イエスさまはすぐにはいらしてくださいませんでした。そのことが心に引っかかって
いたようで、彼女の言葉遣いにそれが現れています。


同じように私も神さまに愚痴をこぼしました。 先生は入院されてから2週間で亡くなられま
した。 享年63歳でした。 ご遺族にとって先生の急逝は大きな衝撃であったことと思いま
す。 そして悲しみも大きく深いこととご推察致します。こんなに悲しいことがなぜ起きるの
でしょうか。 しかし、神さまが許されたことです。私たち人間には理解できなくても、これ
らのことはすべて神さまのご計画なのであります。


当教会も新しい方々が多くなり、鈴木邦俊先生のことをご存知ないと思います。 ここで先生
の略歴をご紹介致します。
鈴木邦俊先生は1945年4月12日、鈴木正夫様・米栄様ご夫妻のご長男として朝鮮でお生
まれになられました。 1963年11月10日、蒲郡バプテスト教会にて洗礼を受けられま
した。1964年3月に岡崎工業高校を卒業され、1972年3月には、東京キリスト教短期
大学を卒業されました。 同年同月に、日本同盟基督教団補教師に准允(じゅんいん)され
ました。1972年4月、天竜キリスト教会、貴布祢(きぶね)キリスト教会で宣教師と協力伝
道を始められました。1973年3月23日、吉岡七絵姉と結婚、4男2女の6人の子どもた
ちに恵まれました。

1975年4月当教会へ赴任され、主任牧師として7年間ご奉仕されました。1982年4月
上大岡聖書教会協力牧師としてご奉仕され、太平洋放送協会(PBA)に勤務されました。


1984年5月、東京都町田市で開拓伝道を始められ、町田南キリスト教会を設立なさいま
した。 1990年、太平洋放送協会を退職され、牧会のかたわら資源回収のお仕事を始め
られました。 1991年11月、町田南キリスト教会の新会堂を献堂されました。


2009年2月26日、すい臓を患い北里大学病院に入院されました。2009年3月11日
午前0時4分、家族の祈りと讃美の中、召天されました。町田南キリスト教会創立25周年
記念日を5月に控えておられたそうです。

 邦俊先生は1975年4月から1982年3月まで、7年間主任牧師として当教会でご奉仕
されました。 多くの困難があったこともお伺いしていますが、前向きに積極的に伝道され、
教会学校に50人以上の子どもたちが集っていたと伺いました。経済的自立のために、教
団からの毎月の援助を断ち切る決断をなさいました。 光の園を開園し、幼い子どもたちの
教育を始められました。 まさに、当教会の基礎を築かれた先生であります。


前夜式のとき、お子さんたちがおっしゃっておられました。 それは 「邦俊先生が福音宣教
の働きに命がけで取り組んでこられたこと。 また、子どもたちが信仰を持ち、神さまのた
めに働く人になるようにしっかりと教育なさったことです」。すばらしいお父さんであり、夫
であり、また牧師であったと思います。 
私は、邦俊先生と邦義君のことを思いながら、ダビデがサウル王とその息子ヨナタンのために
歌った哀歌を思い起こしました(サムエル記第二1:19−27)。


【 結 論 】  
鈴木七絵夫人、巌君、幸さん、聖仕君、美絵さん、大輝君。ご長男と一家の主を失ってこの
ご家族は不幸なのでしょうか。別離の悲しみ、そして寂しさはあると思いますが、不幸では
ありません。 なぜなら、このご一家には 「明日への希望」 があるからであります。


その希望とは、第一に「神さまから愛されていること」です。

イエスさまはマルタとマリヤとラザロとを愛しておられました(5節)。「主は遠くから、私に
現れた。 永遠の愛をもってわたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を
尽くし続けた。」 (エレミヤ書31:3) と聖書は語っています。あなたも神さまに愛されてい
ます。


第二に、「イエスを信じる者として、永遠のいのちが与えられていること」です。  
ラザロは死んで4日も経ち、墓に葬られていました。 すべてが絶望であり、何の希望も見
出さないと思っていたとき、イエスさまがラザロをよみがえらされました(44節)。
すでに亡くなられて邦俊師と邦義兄はこの地上にはおられません。 しかし、お二人は復活
し神の国で安らかに生活しております。 やがて私たちも神の国に入るとき、そこで邦俊師
や邦義兄と再会できるのであります。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです
                                (25節)。」



第三に、「神さまがいつもともにおられること」です。
あなたにはあなたを愛していてくださるご家族があります。 何と幸いなことでしょうか。
たとえあなたがこの地上で天涯孤独の身分になったとしても、決してあなたを見捨てない神
さまがいらっしゃることを知ってください。
  「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます
                               (マタイ28:20)」


  神の愛、復活のいのち、神の臨在、これらはあなたに「明日への希望」をもたらす
  原動力であります。まさに、信仰をもって生きる者の強さがここにあるのであります。


ページTOPへ