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「神のなさることは・・・美しい」 2009年7月5日


松下 信 牧師
伝道者の書 3:1−15
長野県にいる父が3日(金)に救急車で病院に運ばれ、敗血症と急性白血病で今日明日が
山だという知らせを受けました。
大切な日曜日を控えて無理と思いましたが、父に会えるのは最後の機会になるかもと思い
、週報の作成のみ終え、妻と一緒に金曜日の夜10時過ぎに飯田に向かいました。
朝、病院につきましたが、高熱も下がり意識もあり、安定した状態に回復していました。
現在88歳なのですが、本人にまだ生きたいという願いが強くありましたので、抗がん剤に
よる治療をお願いして帰って参りました。 


人の命の尊厳、人の命の不思議を思わされますが、帰ってきて新聞を広げましたら、北朝
鮮に拉致された蓮池薫さん(51歳)の取材記事がありました。 望郷の念を抱き続けた24年
.間だったそうですが、祐木子さんと再会し結婚、子どもが生まれると 「子どものために、こ
こで、それなりに食べて、生きる。ぐっと抑えて生きていく」と決めた。・・・という内容でした。
 
また、同日朝日新聞朝刊の天声人語に 「昔なつかしい蛍が日本各地でよみがえりつつあ
る。喜ばしいことだが、遠隔地の個体を安易に放流すると遺伝子が交雑する恐れがあり、
個体を弱めたり、生態系を壊したり、様々な心配があるという。 思えば蛍にかぎらない。
自然を一度損なえば、元に戻すのは不可能に近い。 葉っぱ一枚自力では作りだせぬこと
を、人間は謙虚に自覚すべきなのだろう。(要約)」とありました。  


人には色々な人生があります。 誕生から始まり、死を迎えるその時まで、様々の経験をさ
せていただきますが、そこに神のご支配と導きの御手があることを私たちは、認めなけれ
ばなりません。 神さまの許可がなければ、私たち人間は生まれることも、死ぬことも出来
ないのであります。 また、神さまでなければ、命を造り出すことが出来ないのであります。


アルフォンス・デーケンさん(上智大学教授)はニューヨークで大学院生時代、病人に付き
添うボランティアをしていたそうです。 みぞれまじりの冷たい雨が降る11月のある日、彼は
一人暮らしの末期癌の女性を訪問する約束でした。 彼は風邪を引いていたのでその女性
にうつしてはいけないと思い、そばに行くのを遠慮しました。 
が、彼女は 「私には残された時間が本当に少ないの。この次という時は、もう来ない
かも知れない。私にとっては、風邪がうつるかどうかよりも、今の時間の方が大切な
」 というので、彼はいつものように彼女の好きな聖書の一節を読み、祈り、彼女が安ら
かに寝入るまでベッドのそばに付き添いました。 
それから3日後、彼女の死の知らせが届きました。 (「ユーモアは老いと死の妙薬」より)


日本語には 「時」 というと一つの言葉しかありませんが、ギリシャ語の 「時」 には 「クロノ
ス」 と 「カイロス」 という二つの言葉があります。 クロノスとは、1秒、1分、1時間というよう
な物理的な時間の流れを表すもの、いわゆる時計の針が刻む量的な時間です。 カイロス
は 「意図された目的に向かって機が熟したと思われる瞬間や好機を示す」 言葉です。
1回限りの独自で質的な時間を指します。最もふさわしい決定的機会がカイロスなのです。


伝道者の書3章1−15節はヘブル語で書かれていますが、ここに記されている 「時」 の意
味は、すべてがカイロスの意味で語られています。
  「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
   生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
   植えるのに時があり、植えたものを引き抜くのに時がある。 ・・・(省略)・・・ 
   私は知った。 神のなさることはみな永遠に変わらないことを。
   それに何かを付け加えることも、それから何かを取り去ることもできない。
   神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
」  
私たちの人生は二度とない、貴重な経験であります。死を前にした人間に、次の機会はなく
、今が最善の機会なのです。
今朝、長年祈りの中にあったS兄が洗礼を受けられます。 今日この時、天において神の
御使いたちの喜びは如何に大きいことでしょうか。


聖書のことば
  「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、
  悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです

                                            (ルカ15:7)


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