「イエス・キリストを信ず」 | 2010年2月7日 松下 信 牧師 |
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ヘブル人への手紙9:11−12 | ||
1.序論 イエス・キリストを「神のただ一人の御子」と呼ぶことは、教会の教えと信仰の試金石です。 イエスを 「神のただ一人の御子」 と告白しないところから、異端(エホバの証人やモルモン教、 統一協会など) が生まれてきました。 イエス・キリストを 「神のただ一人の御子」 と教える こと、信じることは、その教えと信仰を類稀(たぐいまれ)なものにします。 2.キリストが中心 新約聖書全体は御子キリストを証しするために書かれました。 ですから、使徒信条が「神」や「聖霊」よりもずっと詳しく「御子」について語っているのは、 驚くべきことではありません。 「御子キリスト」が使徒信条の中心となって告白されている のは、贖いのみわざが御子によってなされたからです。 キリストが福音の中心です。 3.4つの名前 使徒信条の中でイエス・キリストは4つの名前(「その独り子(神の子)」 「主」 「イエス」 「キリスト」)で呼ばれています。 「神の子」は神の子孫という意味ではなく、「神そのもの 」を意味しています。「主(キュリオス)」は神の名(「あるという者」の意)を表しています。 「イエス」はヘブル語のヨシュアからきています。そして「キリスト」とは、「油注がれた者」 というヘブル語「メシヤ」のギリシャ語読みです。 「キリスト」は姓ではありません。 「油注ぎ」とは、王、祭司、預言者を任命するときの儀式です。 キリストは祭司(ヘブル9: 11−12)であり、王(ヨハネ18:37)であり、預言者(ピリピ2:10) であるお方です。 私たちキリスト者もイエスが普遍的主権者、私たちの主、王、支配者、救い主、神であるこ とを認めて生きるとき、その生活にキリストに属する者としての恵みに満ちた歩みが与えら れるのです。 【 結 論 】 2000年前にパレスチナのベツレヘムにおいて、イエスさまは空間と時間に入り込まれました。 同じように、私たちの個人的な空間と時間にも、イエスさまは入り込まれます。 イエスさまが、最初に地上に来られた目的は 「人類に対する愛」 でした。 そして、今もイエスさまは私たちひとりひとりを愛していてくださいます。 あなたは愛されて います。さらに、イエスさまは人々に向かって 「来て、私に従いなさい」 と言われました。 そして、今も私たちひとりひとりにも仰せられます。 「来て、従いなさい」と。 最後に皆さんにお伺いします。 「イエスさまはあなたの主ですか?」 「あなたはイエスさまを主と認めて、このお方に従いますか?」 使徒信条を唱える人ならどんな人でも、この質問をしっかりと受け止め、応答していただきたい のです。 この質問にどのように応答するかによって、あなたの生き方が決まります。 「イエスさまは私の主です。あなたに従います。」 と、信仰を告白し、私を罪から贖い出して くださった主を崇めましょう。 「しかしキリストは、・・・大祭司として来られ、 ・・・さらに完全な幕屋を通り、 ・・・御自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、 永遠の贖いを成し遂げられたのです。」 (ヘブル9:11−12) |