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「父のみこころを行う者が」 2011年9月11日

 松下 信 牧師
マタイ7:21−23
T.イエスのことばを聞き、それを行うことの大切さ
みせかけの信者がいるので、イエスさまは注意を喚起されました。 「主よ、主よ」と言う
者が、みな天の御国に入るわけではないと。  
イエスさまが 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのでは
なく、・・・」(21節) と語られたのはどんな意味でしょうか。 ルカの福音書6章46〜
49節は、このことを理解する良い助けになります。『主よ、主よ』と呼びながら、イエス
さまの教えに従わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ていると指摘され、
イエスさまはみことばを聞き、それを行うことの大切さを教えられました。

U.イエスさまの教えに従わない者の末路
世の終わりになると、多くの人々がイエスさまの救いを求めてみもとに集ってきます。
天の御国に入るために、必死になってイエスさまにすがりつきますが、彼はきっぱりとこ
れらの人々を拒絶されます(23節)。

V.父のみこころを行う者の祝福  
救われるために必要なのは 「行い」 ですか。 いや、違います。 救われるために必要
なのは 「信仰」 です。 「イエスを救い主である」 と信じるだけで私たちは救われます。
矛盾しているように見えるかも知れませんが、信じた者に必要なのは 「行い」 です。 
「信じている」 と言っても、言葉だけで行いのない 「信仰」 では救われません。 救いの
船に乗るためには、桟橋から船の上まで歩かなければなりません。 神さまの招きと人
間の応答がひとつとなって救いは成し遂げられるのです。 「信仰」 と 「行い」 はコイン
の裏表のように、二つで一つなのです。 信仰によって私たちは義と認められ、信仰に
よって罪から救われるのですが、しかし、行いのない信仰は死んでいます。

「みこころ」 とは、「神さまの計画や目的や意志などにかかわる聖なるお考え」 を表現し
ています。 ここで 「天におられるわたしの父のみこころを行う・・・」(21節) と言われ
ている意味は、私たちが口先だけの熱心ではなく、行いの伴う信仰に堅く立つことです。
   @ 聖さを求めること。
   A 謙遜であること。
   B 神さまを愛して奉仕に励むこと。
以上の3つの事柄が、イエスさまが私たちに求めているみこころを行う者としてのあり方
なのです。 このような者たちに与えられる祝福は、天の御国に入る特権です。
地上のいかなる栄誉や栄光であっても、天の御国の栄光に比べることはできません。

【 結 論 】
(1)東日本大震災から半年、またアメリカにおけるテロから10年目の日を迎えました。
  キリスト者は実のある生き方をしていきたいものです。 信仰生活や祈りの生活が実
  りあるものとして口先だけの熱心ではなく、行いが伴う生き方を身につけてまいりまし
  ょう。
(2)コスモス愛餐会にご招待している19名の方々の健康が守られ、平和な歩みができる
  ように祝福を祈り、主にある喜びを共有しましょう。
  愛餐会に出席するよう心がけ、実のある祈りをもって、ゲストの方々の今後の歩みを
  お支えしましょう。
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