「結びの帯」 | 2012年3月4日 松下 信 牧師 |
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コロサイ3:12−17 | ||
この時代、教会の中にもこの世の価値観や考え方が入り込み、教会に混乱が広がっています。 キリストの愛を宣べ伝えている教会に憎しみや争いがあります。 信徒が互いに争い、牧師が互いに 憎しみ合っている悲しい現実があります。 T.福音を弁明するために コロサイは小アジアのフルギヤ地方にあるリュコスの平原にある町です。 このコロサイの教会は グノーシス主義を唱える異端の攻撃を受け混乱していました。 グノーシスとはギリシャ語で 「知識」の意味です。 霊肉二元論を唱え、霊的存在は聖いが肉体など目に見える存在は汚れて いると主張して、神が肉体をとって人間になることはありえないとキリストの受肉を否定しました。 パウロはこの異端の教えを退け、正しい福音を宣ベ伝え、福音の弁明をするためにこのコロサイ人 への手紙を書きました。 U.互いに愛し合いなさい 1、2章にはキリストがまことの神であり、まことの人間であり、まことの救い主であることが述べ られています。 3章以下は実践的な勧めです。 正統的な福音を解き明かしたあと、パウロは 「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、溢れるばかり感謝」 (2:7)するために、信仰生活において何が必要なのかを教えています。意見交換や情報の共有、 そして一緒に過ごすことなどは、私たちがひとつ心になるために有益かつ必要なことです。 しかし、どんなに話し合っても意見の一致をみないこともあります。 話し合いや議論によってす べてが解決するとは限りません。 私たちをひとつ心にさせるものは何でしょうか。 愛以外には ありません。 大切なことは自己主張を控えることです。 また相手を受け入れ、赦すことです (12−13節)。 18節以降に語られているとおり、夫婦、親子、主人と奴隷などの人間関係において も、互いに愛し合うことは無くてはならない大切なものなのです。 V.知識ではなく、愛が必要 私たちの教会は人数も増え、さまざまな考え方や価値観の人々が集まる群れとなりました。 ここで私たちが注意しなければならないことは、神の国である教会はこの世の価値観とはまったく 異なることです。 社会においてどんなに有能な人であっても、教会で用いられるとは限りません。 大切なのはその人の知識や能力ではなく、信仰です。 イエスさまをどれだけ愛しているか、キリ ストにどれだけ従っているかが問われます。 パウロは 「そして、これらすべての上に、愛を着け なさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(14節)と教えています。 【 結 論 】 私たちの教会は愛のあるすばらしい教会です。 昨日、ソフトボールチーム「白山道グローリー」 が対外試合を行いました。 10名を越える多くの教会員が応援に駆けつけてくださいました。 その愛の行為に感謝いたします。 またパウロも愛の人でした。 彼は自ら拘束されていたにもか かわらず、愛する兄弟たちのことを思い、自分の手でこの手紙を書きました.。 |