「祝福が民の上に」 | 2013年2月3日 松下 信 牧師 |
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詩篇 3:1−8 | ||
この詩篇は 「迫って来る敵からの救い」 を求める祈りです。 私たちも攻撃してくる敵を意識 することがあるのではないでしょうか。 敵といっても全く知らない人ばかりでなく、身近な家 族や友人であっても争うことがあると思います。 もしかすると、同じ信仰に歩む兄姉と敵対 することも、ないとは言い切れません。 だれとも対立せず仲良くできたら、それに越したこと はありません。 しかし、キリスト者として信仰を貫き通そうとするとき、未信者との間にさま ざまな軋轢が生じることも避けられません。 誤解や恨み、そして嫉妬などは親しい関係に あればあるほど生じます。 T.神の救いを求める祈り 敵からの攻撃を受けるとき、あなたはじっと我慢しますか。 それとも反撃しますか。 キリスト者であっても完全ではありませんから、直接に呪わなくても、つぶやきの祈りをして もいいのではないでしょうか。 相手を呪う祈りをしても赦されるのではないでしょうか。 祈り は心の中にある悩みや苦しみを吐き出すことによって、神にさばきを委ねていくことです。 この1節、2節を見る限りにおいて、状況はかなり深刻です。 聖書は自分で復讐してはならない。神に任せなさいと教えています(ローマ12:19)。 復讐で きないのであれば、何もできません。 いいえ、できます。 神に助けを求めて叫ぶことができ るのです。 詩人は、主の救いを求めて祈りました。 4節のように、主は生きておられますか ら、あなたが救いを求めて祈るなら必ず答えてくださいます。 私たちがいかなる困難に追い 込まれたとしても、主を信頼していれば、私たちは救われるのです。 あなたに敵対する人が 主のみこころに従っている正しい人であれば、あなたに勝ち目はありません。 相手に非があ り、あなたが神に従っているなら、何も恐れることはありません(3節、5節、6節)。 「救いは主にありますから」(8節) 私たちが神を信頼することがどれほど素晴らしいことなの か。 どんなに切羽詰った状況にあろうとも、追い詰められても、必ず主があなたを助けてくだ さることを信じましょう(Tコリント10:13)。 U.民の祝福を求める祈り さらに、この詩篇のすばらしさは個人の救いにとどまらず、もっと広い視野で救いをとらえて いる事です。 「救いは主にあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように」(8節) 詩人は個人的な救いの確信にとどまらず、イスラエル民族に対する祝福を求めています。 祈りは個人だけでなく、公的な信仰告白へと開かれて、広大な祈りをもって終わります。 私たちに適用するならば、教会全体の祝福を祈り求めているということです。 自分だけの 救いではなく、兄姉の救いを求め、祝福を祈る懐の深い祈りであるということです。 【 結 論 】 個人のみの平和や繁栄を求めることの多いこの時代にあって、公的祈りと公的信仰告白は 何と幸いなことでしょうか。 今私たちに求められることは、 「御国を来たらせたまえ。 御心が天で行われるように、地でも行われますように」 と渇望することです。 |