「ゲツセマネの祈り」 | 2013年3月10日 松下 信 牧師 |
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ルカの福音書 22:39-46 | ||
ルカの福音書を読むとき、どこにも「ゲツセマネ」という記述はありません。 ルカは 「それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った」(39節) と表現しています。 「ゲツセマネ」 とは 「油絞り」 を意味しています。 そこにはオリーブを絞 る場所であったことからこのように呼ばれました。 325年に、コンスタンティヌス皇帝の母親で あるヘレナが、パレスチナを訪問したあとでゲツセマネの園が特定されるようになったそうです。 しかしルカはイエスさまの苦闘の祈り場をゲツセマネや園ではなく、あくまでも「オリーブ山」と 表現しています。 イエスさまは山において12使徒を選ばれた前夜の祈りをしました(6:12)。 おそらくオリーブ山です。 変貌の祈りも山の上でした(9:28)、そして昇天の祈りはオリーブ山 でした(24:51、使徒1:12)。 ルカは一連の山上での祈りを特別なものと考えています。 イエスさまは人混みを避けて単身父なる神と向き合われました。 毎日のように習慣化された 父なる神との交わりは、御自身の霊的な力の源でした。 ですから「いつもの場所に着いたと き、・・・」(40節)ということができました。 イエスさまに習ってキリスト者はひざまずいて祈るようになりました。 椅子に座しての礼拝では ありますが、私たちも心の中では主のみ前にひざまずく信仰を持ちたいものです。 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」(42節)と、イエスさまは 死を目前にして恐れました。激しい苦しみから逃れたいと思われたのでしょうか。しかしイエス さまは父のご計画の成就を求めました。 御子が父のみもとから遣わされた目的は死ぬこと、 つまり全人類を罪と死と滅びから救うために、十字架にあげられなければならないとイエスさま は知っておられたのです。 ですから、「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにして ください」(42節)と告白して父に従われたのです。 【 結 論 】 イエスさまは私たちが弱い者であることをご存知です。 弱い者であっても神を信じるなら力を いただき、苦しみの道を喜んで歩むことができるのです。 マルティン・ルター「日々のみことば」(鍋谷尭爾編訳、いのちのことば社発行)の3月10日の ルターの言葉に次のような教えがあります。 その一部をご紹介して終わります。 「・・・キリスト者である人は、すべて自分の十字架が来ると考えなければなりません。 そこで、名誉、財産、身体、いのちなどを危険にさらすならば、確かにきびしく傷つく十字架 にちがいありません。 このような苦しみは確かに損害を与えます。 もしそうでなければ苦 しみではありません。 しかし、この真理を知っているならば、それはずっと軽く容易になり ます。 そして次のように言って慰めを得ることができます。 もし私がキリスト者であるならば、それにふさわしい服装をしなければならない。 愛する イエス・キリストの法廷に出るために主がお命じになる服装はただひとつ。 苦しみという 服装である。」 |