「まだ罪人であった時に」 | 2014年8月3日 松下 信 牧師 |
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ローマ人への手紙5章8節 | ||
今朝はローマ人への手紙5章8節から 「キリストの愛」 の深さを教えていただきます。 この5章は 「神の義と愛について」 教えています。 8節において、パウロは 「しかし私たちがまだ 罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご 自身の愛を明らかにしておられます」 と語っています。 T.「不敬虔な者」のために死んだキリスト 冒頭には 「しかし」 という接続詞があります。 この 「しかし」 は 「神の律法にかなった正しい人の ために死ぬ人はいません。 情け深い人 (善人) のためには、進んで死ぬ人があるいはいるかも知 れません」 という7節の教えを受けています。 しかし、キリストは正しい人のためでなく、情け深い 人のためでもなく、「罪人」 「悪人」 「不敬虔な者」 のために死んでくださったのです。 これは驚くべきことであります。 U.ご自身の愛を実証された神 8節の冒頭にある言葉は 「明らかにしておられます」 という動詞です。 日本語では最後に記さ れていますが、ギリシャ語 (原語) の聖書では冒頭に記されています。 この 「明らかにしておられ ます」 は 「論証する」 「実証する」 「実物あるいは実演で説明する」 という意味の言葉です。 パウロはここで 「しかし、神は私たちのためにご自身の愛を実証されたのです」 と言っているので す。 「神はご自身の愛を示された」 ということを強調しているのです。 パウロは 「神さまの愛がキリストの十字架の死において、現実に明らかにされ実証されている」 と 言いたかったのであります。 V.私たちがまだ罪人であったとき しかも、「神さまがご自身の愛を示された」 のは、私たちがまだ罪人であった時でした。 私たちクリスチャンがまだ救われていなかった時ですから、神から遠く離れ、自己中心的な生き方 をしていた時です。 神に敵対し、神に背を向けていた私たちに対して、神さまの側から一歩も百歩 も譲って、心を開いてくださったのです。 私はいましばらく連絡を取っていなくて、ご無沙汰してしま っている友達がいます。 時間が経過するにつれ、こちらからは連絡しにくくなっています。 ですから、相手からの連絡を待とうという横着な気持ちになっています。 隣人を愛するとは、どうすることなのかと、いま問われています。 須貝正勝兄が本日の公同礼拝 の中で洗礼を受けられます。 まだ罪人であった時代に須貝さんを見出された神さまは、一方的な 愛をもって彼を招かれました。 しかも、神さまは信仰告白から受洗まで35年という長い歳月を忍 耐強く愛し続け、導き続けられたのです。 神さまの須貝兄に対する愛の大きさを思うとき、それが余りに偉大であり、言葉になりません。 【 結 論 】 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8) |