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主日礼拝
「アブシャロムの復讐」 2015年5月10日


 松下 信 牧師
サムエル記第二13章1節−39節      
ダビデがイスラエルの王としてエルサレムで安定した統治を始めた後、バテ・シェバ事件が起こり
ました。 それは王国と彼自身の家庭に甚大な被害をもたらしました。 それはダビデ王の後継者
争いとも関わり、兄弟間の殺人事件に発展していきます。
ダビデの長男であるアムノンは、美しいタマルを恋い慕いながらもどうにもならない現実があるこ
とを知っていました。 友人ヨナダブの助言を得てタマルを自宅に誘い、アムノンは彼女を凌辱しま
す。 妹のタマルをはずかしめられたアブシャロムは、沈黙を守りつつもアムノンに憎しみを募らせ
ていきます。 二年後、アブシャロムはアムノンを殺害することで妹の復讐を遂げ、ゲシュルに逃亡
します。 ダビデ王はアムノンがタマルを凌辱したことを聞いて激しく怒りましたが、何もしませんで
した。 ここに彼の弱さがあります。
豊かな才能を発揮して国を治めたイスラエルの王に欠けていたのは、家庭を治めることでした。
彼はアムノンの罪を放置しました。わが子の罪が自分自身の罪と重なって、彼はわが子を責める
ことができませんでした。 また彼はアブシャロムと向き合うことも恐れました。 自分の罪を隠すた
めにウリヤを殺害した彼に、わが子の罪を戒める資格はありませんでした。さらにダビデはタマル
に対しても父親としての責任を果たすことができませんでした。 絶望しているわが娘に、慰めの
言葉一つかける優しさもありませんでした。


【 結 論 】
罪のもたらす結果は、恐ろしく悲惨です。 ダビデは姦淫の罪を犯しましたが、それ以上に重い
罪を犯しました。 それは「沈黙」という罪です。 父親として、子どもたちの罪を責め戒めるべき
責任があるのに、彼は黙して何もしませんでした。 父親として、タマルの傷ついた心を癒そうとも
しませんでした。
そこにはもはや王の雄姿はなく、人間の抜け殻があるだけでした。 私たちはダビデ王国と彼の家
庭に起こったこの事実に目と耳をふさがないで、その悲しみを自分自身のこととして受けとめる必
要があります。ダビデの姦淫の罪は個人にとどまらず、王国と彼の家庭に暗い陰を落としました。
本日の聖書箇所をとおして、神は次のような教訓を示しています。
  「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、
  その刈取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、
  御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」
(ガラ6:7−8)  


今の時代においても、アムノンのように、アブシャロムのように、タマルのように悪と罪と死の暗闇
の中で苦しみもがいている人々がいます。 これらの人々を救うことができる人間は一人もいませ
ん。 しかし神の御子であるイエス・キリストだけが、このような暗闇から人々を救い出すことがおで
きになるのです。
新約聖書において、パウロは私たちに与えられている救いの希望を確信をもって伝えています。
「あなたがたは、以前は暗闇でしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく
歩みなさい。――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです――」
(エペソ5:8,9)


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