主日礼拝(子ども祝福式) | 「ゆるしなさい」 | 2015年11月8日 松下 信 牧師 |
ルカの福音書23章33-34節 | ||
Ⅰ.思いどおりにならない人生 私は小さい時から、頭のいい人になりたい、強い人になりたい、人に負けたくないと思っていました。 しかし、何をしても姉や兄には勝てませんでした。 負けん気だけは強く、よく泣いていました。 小学生になると、自分のことがわかってきました。頭が悪く、弱く、友だちがとても優秀(ゆうしゅう) に見えました。 小学生時代の通信簿(つうしんぼ)には 「やることが遅い」 と書かれていました。 絵を描かせても、粘土で作らせても時間が人一倍かかりました。 「丁寧(ていねい)ですが、遅い」 と評価されていました。こんな子どもがひとりでもいれば、当時の先生たちは大変だったことでしょう ね。 人生って自分の思いどおりにならず、苦しいことばかりです。 しかし、自死(じし)してはなり ません。 どんなにつらく苦しいことがであっても、自分の命(いのち)を奪ってはなりません。 Ⅱ.イエスさまとの出会いは、何にも勝る恵み 私は自分が望んだ人生よりも、もっとすばらしいそれに出会いました。イエスさまとの出会いです。 イエスさまは神であり、救い主です。イエスさまが私を愛しておられることを知り、人生が変わりまし た。 「私の目にはあなたは高価(こうか)で尊(たっと)い。私はあなたを愛している」(イザヤ書 43:4) と神さは言われます。 神さまは「生きていてよかったね。 これからも生きるんだよ。」と励 ましておられます。イエスさまに出会い、私は初めて互いに愛し合うこと(仲良くすること)の大切さ を知りました。 Ⅲ.十字架の死・・・罪を赦(ゆる)されたイエスさま イエスさまが十字架につけられたわけは、神さまを「お父さん」 と呼んだことです。 きよい神さまを ばかにしたというのです。 イエスさまはローマ人の兵士たちからばかにされました。 頭をたたかれ、 顔につばきをかけられました。いばらの冠(かんむり)を頭にかぶせられ、裸にされて鞭打(むちう) たれました。 皆さんが悪口(わるぐち)を言われ、頭をたたかれ、顔につばきをかけられたら、 皆さんは怒(おこ)りませんか。 お友だちからいじわるをされたら、あなたはどうしますか。 上履(うわば)きをゴミ箱に捨てられたらどうしますか。あなたを傷つけた人をうらみ、お返ししないで しょうか。 イエスさまは十字架の上で激(はげ)しい痛みに襲われました。 その苦しみの中にあっても、しかし イエスさまはだれに対しても悪口(わるぐち)を言い、憎(にく)しみを抱くことはありませんでした。 イエスさまは自分を傷つけ十字架につけた人々の罪を赦(ゆる)してほしいと、父なる神に祈られまし た。 「父よ。彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、何をしているか自分でわからないのです。」(34節) 【 結 論 】 あなたがお友だちから傷(きず)つけられたとき、あなたがそのお友だちの罪を赦(ゆる)すなら、 あなたは祝福されます。 イエスさまがあなたの罪を赦(ゆる)されたように、あなたもお友だちの 罪を赦(ゆる)しましょう。 |