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ペンテコステ記念礼拝 「秩序と調和」 2017年6月4日

 松下 信 牧師
使徒2章1~4節 創世記11章1~9節
Ⅰ.人間が神のようになろうとする高ぶり  
 バベルの塔の建設は、「神に背くものの団結のしるし」でありました。神の教えや導きを拒否
し、人間だけで一切を把握しようとするものでした。そこにあるのは、人間の力を誇示し、人間
の栄光を現すものでした。まさに塔の建設は神に反抗する人間の傲慢そのものでした。人々は全
地に散らされることを避けようとして塔を建てました。
 しかし、塔を建てること自体が神への背反でありました。それは「地に満ちよ」と命じられた
神さまのみこころを拒否する行為だったからです。
 神のみこころは、人々が全地に満ちることでした。地上のあらゆる地方に散ることでした。
散ることは必ずしも分離することではなく、散って住むことになっても人類としての内的な一体
性を損うことはなく、神の祝福の満ちるものでありました。

 現代社会は、当時とは比較にならないほどの高層建築物が世界中のあらゆるところに建てられ
ています。 東京スカイツリーも雲の中にまでそびえています。しかし大切なのは建築物そのもの
ではなく、人間の心のありようです。 人間の霊的高慢は、はなはだしいものがあります。
 現代は「人間賛歌」の時代ではないでしょうか。神が無視され、侮られている時代ではないか
と思います。 人間の高慢を見られた神が介入されることによって、言葉が混乱し、互いに理解し
合うことができなくなり、バベルの塔は完成を見ませんでした(創世記11:5-9)。
 バベルの塔の物語は、神からの啓示の助けなくして人間の能力だけでいっさいを把握しようと
する宗教心の限界を暗示しています。 そこには、人間自身の霊的高ぶりが見られます。

Ⅱ.バベルの混乱とは対照的なペンテコステの秩序と調和

 「全地は一つのことば、一つの話しことば」(創世記11:1)でありました。神に背いた人々の
高ぶりを戒めるために、神は人々のことばを混乱させられました。しかし、神のみこころを知り、
神に従いたいと願う人々に与えられたのは、さまざまの国、民族、地域の言葉でした。 しかし、
そこに混乱はなく、神の支配の中にある秩序と調和がありました。 聖霊なる神が弟子たちの上
にお降りになられたペンテコステ(聖霊降臨)の恵みは、神の主権、支配、統制が示された「秩序
と調和」の美しい出来事でした。

 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹い
て来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また炎のような分かれた舌が現れ
て、ひとりひとりの上にとどまった。するとみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださると
おりに、他国のことばで話しだした。」(使徒の働き2:1—4)

【 結 論 】
 聖霊が臨まれた時、弟子たちは「イエスは十字架に死によみがえられた神の御子である」こと
を証言しました。 そこには人々を恐れる弟子たちの姿はもはやなく、人々の前に立って、罪の
悔い改めを迫る大胆な使徒たちの姿がありました。この日、イエス・キリストを救い主であると
信じた約3000人が弟子に加えられました。
バベルの塔を建て、神のようになろうとする霊的高ぶりを抱いてはなりません。
   主の御前にひざまずき、主の主権と支配と指導を待ち望む敬虔な者と
   させていただきましょう。
 
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