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主日礼拝

(洗礼式 聖餐式)
「御霊が鳩のように」 2018年9月2日

 松下 信 牧師
マタイの福音書 3章13節~17節
イエス・キリストが洗礼者ヨハネからバプテスマを受けた時、神の御霊が鳩のように下って、イエス
さまの上に臨まれました。 主の祝福が彼の上に注がれたのです。
 教会において、バプテスマ (洗礼)と聖餐は、イエスさまによって定められた大切な聖礼典として
厳粛に守られています。 二つの聖礼典のうち、今朝はバプテスマについて考えます。

Ⅰ.バプテスマと信仰による救いは一体
 罪を悔い改め、イエスを主と信じる者は救われます。 心で神はイエスを死者の中からよみがえらせ
てくださったと信じ、告白するなら永遠のいのちを受けるのです。 「あなたがたは、恵みのゆえに、
信仰によって、救われたのです。」(エペソ2:8) と使徒パウロが言っているとおりです。
 私たちが立派だから救われたのではありません。 一方的な神のあわれみによるからです。  
バプテスマは信仰による救いと関わっています。 この信仰による救いと一体であるのが、バプテスマ
です。 初代教会においては、悔い改めてイエスを主と信じた者は、すぐにバプテスマを受けました
(使徒2:38)。 現代では信仰告白と受洗の間に数か月から数年という時間の空白があります。
  初代教会は信仰の救いと受洗は同時でした。 だから、使徒ペテロは 「それぞれ罪を赦していただ
くために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」 と教えておられるのです。

Ⅱ.古い人の十字架の死と新しい人のよみがえり  
 教会はバプテスマをなぜ大切にしているのでしょうか。 使徒ペテロの教えによると、「バプテスマ
は、それぞれ罪を赦していただくため」のものであることがわかります。また信じた者は、「聖霊を
受けるために、バプテスマを受ける」 のです(使徒2:38)。
 使徒パウロがローマ人への手紙6章で語っているとおり、水の中に入れられることは、古い人が
キリストと共に十字架に死ぬこと意味しています。 また水の中から上げられることは、キリストと共
に死からよみがえることを意味しています。 キリストにあっていのちを受けた新しい人がキリストと
共に生きるのです(ローマ6:10-11)。

Ⅲ.神の御霊が鳩のように
 洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、水から上がられたイエスさまは、天が開け、神の御霊が鳩のよ
うに下って、ご自分の上に来られるのを、ご覧になられました(16節)。
神の祝福が御子イエスに注がれたのです。

【 結 論 】
 イエス・キリストによるバプテスマは何のためにあるのでしょうか。
「罪赦され、救われるために」あります。 また「聖霊を受けるために」あります。 聖霊の神を受け
た人には知恵と力が与えられます。さらに愛が与えられます。神と人とに仕える者と変えられた人の
人生は何と幸いなことでしょうか。 今日、礼拝の中でM・M姉とY・A姉がバプテスマを受けられ
ます。これは大いなる恵みです。天が開け、神の御霊が鳩のように下って、お二人の上に臨まれるこ
とを願います。
 お二人の健康、新しい日々の歩みなどの上に、神の恵みが豊かに注がれますように。
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