主日礼拝 | 「お金では買えません」 | 2019年7月7日 松下 信 牧師 |
使徒の働き 8章:14節-25節 | ||
Ⅰ.序(受難の結果としてもたらされた祝福) ステパノの殉教を契機としてエルサレム教会は四散しました。 しかし、この受難が エルサレムから諸外国への福音伝播の道を開きます。 伝道者ピリポはサマリアに行き みことばを伝えて大成功を収めます。福音を信じ受洗した人々は使徒ペテロとヨハネ によって聖霊を受ける恵みにもあずかります。 Ⅱ.神の賜物はお金では買えません サマリアにはシモンという名の魔術師がいました。彼はサマリアの人々を驚かし、 自分は偉大な者であると話していました。しかし、ピリポが神の国とイエス・キリスト の御名について宣べ伝えると、シモン自身も信じて洗礼を受け、ピリポにつきまとい 偉大なしるしと奇跡を見て驚いていました。 このシモンは東方に多く見られた魔術師 であり、後代の教父であるイレナエウスによれば、彼は『キリスト教会最初の異端と されたグノーシス派の開祖』であるとされています。 シモンは使徒の行為から魔術が聖霊の働きであることを理解しました。 彼はその力 を買い求めて自分のものにしようと思いました。 『私が手を置く者が誰でも聖霊を受 けられるように、その権威を私にも下さい』 と願い求めるシモンに対して、ペテロは 非常に厳しく叱責しました。『おまえの金は、おまえとともに滅びるがよい。おまえ が金で神の賜物を手に入れようと思っているからだ。』(20節)神の恵みの賜物をお金 で手に入れることができるという誤った考え方が責められています。 Ⅲ.神の前に正しくない心 ペテロはシモンが金銭をもって神の賜物を手に入れようとしたのは、単純な思い違い や過ちによるのではなく、シモン自身の心が神の前に正しくないからだと指摘して います。 「神の前に正しくない」 とは具体的に何をいっているのでしょうか。 第一に、シモンは自らの偉大さを人々に誇示するために、神の賜物を手に入れようと していました。 彼の心そのものが「悪」でありました。 第二に、シモンは神の賜物をお金で買えると考えていました。神の賜物はただで与 えられるものですが、不純な動機で求める者にはいかに多くのお金を積んだとしても 与えられません。 第三に、シモンはお金さえあれば何でもできると思っていました。 しかし、信仰が なければ何も得ることはないのです。 神の祝福を勝ち取るために必要なのは、従順に 主に従う心です。 日々の地道な積み重ねの結果が豊かな実を結ばせるのです。 【 結 論 】 お金がすべてであるかのように考えているこの世にあって、キリスト者がお金に執 着しないで生きることは本当に難しいと思います。 しかし必要以上の金銭の保有は、 私たちを高ぶらせ、堕落させ、欲望の虜になる可能性があります。 神の賜物はお金では買えません。神の愛も、聖霊の賜物も、キリストにある救いも、 神の賜物はすべて、人間のわざや努力によってもたらされるものではありません。 すべての神の賜物は神から与えられたものです。 「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。 それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」 (エペソ2:8-9) |