主日礼拝 | 「とこしえのいのちの祝福」 | 2020年9月6日 松下 信 牧師 |
詩篇 133篇1節-3節 | ||
昨日、敬愛するN.M.姉の葬儀に参列するために、佐久市まで行ってまいりました。 姉妹は今年1月から重篤な病になられ、療養生活と治療を続けておられましたが、9月3日 に召されました。さて、今朝の礼拝は「コスモス愛餐会」の招待者28名のことを覚えなが ら、主の祝福が豊かに注がれることを祈りたいと思います。 今朝は、外見ではなく、内面の美しさを重視することの大切さについて、お話しいたしま す。 詩篇133篇は「都上りの歌」です。エルサレムに主を礼拝するためにやって来る巡礼 者たちが、「シオンに注がれた主の祝福」を歌ったものと思われています。 Ⅰ.見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。(1節前半) この上もない喜びと感謝の叫びです。「なんと幸いであろうか!」と。 Ⅱ.兄弟たちが一つになって ともに生きることは。(1節後半) 兄弟たちが愛し合い、助け合い、仕え合うことは、何と喜ばしいことでしょうか。 Ⅲ.それは 頭に注がれた貴い油のようだ。 (2節前半) 主にあって聖別された油、混ざりものがない純粋なオリーブ油が頭に注がれました。 古代イスラエルにおいて、祭司や王に任職された人々は、主の御名によって貴い油を注がれ ました。天から聖霊が下り、召された者たちは「神に選ばれた聖なる民」として用いられま した。 Ⅳ.それは ひげに アロンのひげに流れて 衣の端にまで流れ滴る。(2節後半) アロンは大祭司としての装束を身に着けています。注がれた油は長く伸びたアロンの あごひげに、衣の襟や裾に流れて、滴り落ちるほどでした。油は主の祝福を示しています。 Ⅴ.それはまた ヘルモンから シオンの山々に降りる露のようだ。(3節前半) ヘルモン山に降りる露のように、シオンの山にも大量の露が降りて、それは滴り落ちる のです。これは神様が与えてくださる天来の恵みなのです。自然を通して私たちにもたらさ れる主の恵みであります。 Ⅵ.主がそこに とこしえのいのちの祝福を 命じられたからである。(3節後半) 神様は自然の恵みを通して、私たちの命を保っておられます。さらに、神様は神の民に、 神を信じる人々に、永遠のいのちの祝福を約束されました。 【 結 論 】 「いのち」こそが、人生において一番大切なものであります。なぜなら、「人は、たとえ 全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。・・・」と、 イエスさまが教えておられるとおりだからであります。 キリストの十字架の贖いと復活に よって、私たちにもたらされた「永遠のいのち」の祝福は、いかなるものとも取り換える ことができない、神からの最高の贈り物であります。御許に帰るその時まで、神を信じ、 神を愛し、人を愛する生活を喜び、恵みに感謝と賛美をおささげいたしましょう。 神の国が建設されるのを喜び神の国に入れていただける日を、信仰をもって待ち望んでまい りましょう。 N.M.姉は死に際して、とこしえのいのちの祝福にあずかる者としての幸いなあかしを、 あとに続く者たちに、鮮やかに垣間見させてくださいました。私には、そう思えてならない のであります。 |