主日礼拝 | 「目標を目指して進もう」 | 2020年10月4日 松下 信 牧師 |
ピリピ人への手紙 3章12節-16節 | ||
臨床心理学者の河合隼雄さんが新幹線の切符を買おうとしたら、駅員に「のぞみはあり ませんが、ひかりはあります」と言われました。瞬間、河合さんはこの言葉の深い含蓄に 感激し、同じ言葉を 大声で返すと、駅員は「あっ、『こだま』が帰ってきた」とつぶや いたそうです。(2020年9月13日朝日新聞朝刊【折々のことば・鷲田清一】より引用) Ⅰ.救いを得るために、 目標を目指して走っている 使徒パウロは自分自身の救いを達成するために、目標を目指して走っている(途上に ある)と告白しています(12節)。私たちキリスト者も彼と同じように、自分の救いを達 成するために目標を目指して走っているのです。 Ⅱ.目指す学校に入れるように、 目標を目指して走っている これを入学試験に挑戦しようとしている高校・大学の受験生に当てはめることができま す。目標の学校に入ろうと、そこに入るための学力(規準)に到達できるよう、目標を目 指して走っています。目標にしている学校の基準が80点であるとしましょう。自分が今 到達している基準が60点であるなら、70点に向上するように、一生懸命に努力するの ではないでしょうか。70点の人は80点に到達することができるように目標を目指して 努力するのではないでしょうか。 Ⅲ.自分が到達したところを 基準にすることの大切さ ただし、私たちは到達したところを基準にして進むべきです(16節)。パウロは目標を 目指して走ること、歩むこと、前進することがどんなに大事なことかを教えています。 自分が今どこにいるのか、どの基準にまで達しているのかを知り、高嶺を目指して一歩一歩 前進すれば、必ず山の頂上に到達できると信じているのです。私たちものぞみを捨てる ことなく、ひかりに向かって前進したいものであります。 【 結 論 】 人生とは、まさにひかりを求めてさまよう旅人のようなものであると思います。 「イエス・キリストこそ真(まこと)のひかりであり、まことの救いである」(ヨハネ8:12 参照)と、私は信じております。 私たちキリスト者が「なんのために学ぶのか?」「何を 目標として走り続けているのか?」と問われるなら、聖書は「神の栄光を現すためである」 と、明確な答えを提示しています。私たちキリスト者は、日々の生活のすべてをもって 神の栄光を現しています。食べたり飲んだりするときも、眠るときも神の栄光を現すため にしています。 すべての被造物は神の栄光を現すために造られ、生かされているのです。私たちが神を 畏れ、神を愛しているとき、私たちの心は平和と平安で満たされています。 「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がと こしえにありますように。アーメン。」(ローマ11:36) パウロが「キリスト・イエスに あって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走って いるのです。」(14節)と言っているように、私たちも目標を目指して進もうではありま せんか。 |