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主日礼拝 「主に感謝をささげよう」 2021年2月7日

 松下 信 牧師
民数記11章1節-6節   詩篇104篇34節
Ⅰ.荒野において、イスラエルの不平を聞かれた神
 イスラエルの民は神に対して不平をつぶやきました。信頼しなければならない神に対して愚痴った
のです。 それは非常に大きな罪でありました。 民数記はモーセに導かれてエジプトを脱出したイス
ラエルが、その2年目から40年目までの38年間におよぶ荒野での生活を記しています。11章は
シナイの荒野からカデシュへ向かって出発し、キブロテ・ハ・タアワに滞在しているときの出来事が
語られています。 そこで民は主に対して繰り返し激しく不平を言いました。 主に対する不平は繰り
返されてきました。 神の怒りが下ったにもかかわらず、さらに外国人から始まったつぶやきはす
べての民の間に広がりました。 「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを
思い出す。 きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。だが今や、私たちの喉はからからだ。
全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」(民数記11:4-6) 彼らはエジプトの生活を恋し
がっていました。その地で彼らは奴隷のように過酷な労働を強いられて、神に救いを求めたからこそ
神は大いなる御手をもって、彼らを奴隷の家であるエジプトから救い出されたのです。 しかし、
彼らはそのような恵みなどは、少しも思い出そうとはせずに、神に対して不満を抱き泣きわめいた
のです。

Ⅱ.イスラエルの叫びに応え、肉を与えられた神
 民が泣き、神に対して『ああ、肉が食べたい。エジプトは良かった』とつぶやいたので、神は民の
叫びを聞かれ、彼らの願いどおりに肉を与えられました。 荒野において、神はマナを与えて民の
空腹を満たされたのに、人々はマナだけでは満足しませんでした。神は海からうずらを運んできて、
それらを宿営の近くに落とし、うずらの肉で人々の欲望を満たされました。

Ⅲ.イスラエルをさばかれた神
 しかし神の約束が果たされ、民の欲望が満たされたあとで、神のさばきが始まりました。「肉が彼
らの歯の間にあって、まだかみ終わらないうちに、主の怒りが民に向かって燃え上がり、主は非常に
激しい疫病で民を打たれた。 その場所の名はキブロテ・ハ・タアワと呼ばれた。欲望にかられた民
が、そこに埋められたからである。」(民数記11:33,34)  
 現代社会において、人類は豊かさを追求した結果、自然破壊や地球の温暖化を引き起こし、地球
環境が悪化する中で世界中に広がった疫病は神の人類に対する警告ではないでしょうか。 不平では
なく、神に対して感謝をおささげすることが、神から豊かな祝福を受ける秘訣ではないでしょうか。
詩篇104篇34節のみことばには感謝という
ことばはありませんが、心からの感謝に満ち溢れている内容です。「私の心の思いが みこころに
かないますように。私は 主を喜びます。」(詩篇104:34)

【 結 論 】  
 今年度年間主題は「いつでもどこでも、感謝と賛美をささげよう」です。主はイスラエルとの契約
のゆえに、民の不従順を忍ばれました。彼らを約束の地に導き入れるために、誠実に約束を果たされ
たのです。
 私たちは偉大であり、真実な主に、心からの感謝をおささげいたしましょう。(詩篇146:1-2)
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