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主日礼拝 「主にある平安に満たされる」 2021年6月6日

 松下 信 牧師
民数記 6章22~27節
Ⅰ.アロンの祝福の祈り  
 神である主はモーセに仰せられました。 アロンとその子どもたちがイスラエルの民を祝福する
ために、次のような祈りをささげるようにと命じられたのです。 その祈りが「アロンの祝福の祈り」
です(24-26節)。 祭司アロンの使命はイスラエルの民を祝福し、礼拝者としてふさわしく整える
ことでありました。 約束の地を目指して荒野を旅している民にとって最優先すべきことは、主を
礼拝することでした。
主は民を霊的・道徳的に整えて、試練に耐え、襲ってくる周囲の敵の攻撃から身を守るように備え
られたのです。

Ⅱ.神に属する民であるイスラエルへの祝福

 「アロンとその子らが、わたしの名をイスラエルの子らの上に置くなら、わたしが彼らを祝福す
る。」(27節)とはどういう意味でしょうか。 これはイスラエルの人々が神に属する民であることの
宣言です。 換言すれば、イスラエルは主を畏れ主の命令に従う民であることの宣言です。
祭司アロンとその子らが主の名をイスラエルの上に置くなら、主もイスラエルを愛し祝福をもたらす
と約束されているのです。

Ⅲ.霊的な祝福と具体的な祝福を通してもたらされる「主にある平安」  
 24節のみことばをお読みします。 「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。」
「主があなたを祝福し」はあらゆる祝福の源である主に、また祈りを聞かれる主に向かって祭司
アロンが積極的に求めている祈りです。 それは霊的祝福であり、これに伴う具体的な祝福であり
ます。作物、家畜、気候、家族、子孫などの生活における豊かさであり繁栄なのです。
「あなたを守られますように」はあらゆる災い、飢餓、外敵、家畜の被害、不妊など、あらゆる祝福
を妨げるものからイスラエルを守られますようにとの祈りです。 「平和・平安」は主からの一方的
な賜物です。人間のうちにあるものではありません。
 順境のとき、・・・試練や病気や死の恐怖などのあらゆる災いから守られているとき、「平和・
平安」が享受されるのは当然のことかも知れません。
しかし逆境のとき、・・・多くの災いに会い様々な試みや戦いの中にあって、さらに病に侵され死の
淵をさまよっているときに、どうして「平和・平安」でいられるのでしょうか。 絶体絶命の状況の
中でこそ、私たちには神の祝福(平和・平安)が必要なのではないでしょうか。
絶望の中であなたは、それでも主を信じることができるでしょうか。 問われているのは、私の信仰
であり、あなたの信仰なのです。

【 結 論 】  
 祭司アロンはイスラエルの人々が神に属する民であることを宣言して、イスラエルへの神の祝福
を約束されました。 そしてイエス・キリストは「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしの
もとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)と人々を招き、罪
を赦し、主にある平安をもたらされました。
 新しい2021年度の教会の歩みが、敬愛する皆様の歩みが、「主にあって豊かに祝福され、
平安に満たされますように。」と、祈りつつ。
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