主日礼拝 | 「迫害の中での福音宣教」 | 2021年8月1日 松下 信 牧師 |
使徒の働き 14章1~7節 | ||
Ⅰ.迫害を受けたパウロとバルナバ 『キリスト者に対する迫害』について、ご一緒に考えてみましょう。 パウロとバルナバが次にやってきた町はイコニオンでした。彼らはこの町の伝道に際しても、まず ユダヤ人の会堂に行き、主イエスの福音を語りました。すると、ユダヤ人も異邦人であるギリシア人 も大勢の人々が主イエスの福音を信じたのです(1節)。 このイコニオンにおいても福音を信じようとしないユダヤ人たちがいて、彼らは異邦人たちを扇 動して、兄弟たちに対する悪意を抱かせました。異邦人の心を動揺させ悪い思いを植え付けた のです(2節)。 しかし、ふたりは悪意を抱いて彼らを迫害しようとしているユダヤ人たちの存在 を知りながらも、なおイコニオンにとどまり続けました(3節)。 Ⅱ.「しるしと不思議」がともなう宣教のわざ この3節の中に「主によって大胆に語った」という表現があります。これはどういう意味でしょう か。「主によって」とは「主を頼みとして」と解釈することができると思います。「大胆に語った」 とは、ユダヤ教を意識していると考えられています。ふたりはユダヤ教に挑戦する仕方で、町の ユダヤ人と異邦人に主イエスの福音を真正面から宣べ伝えました。この宣教のわざには「しるしと 不思議」がともないました。ここでは悪霊追放や病の癒しなどについては語られていません。 しかし、リステラでパウロが足の不自由な人を癒されたのと同じように、このイコニオンにおいて も「しるしと不思議」がなされたことは、容易に想像することができるのではないでしょうか (8節以降)。それは彼らの語ることばが真理であるということの神による確証であり、承認であり ました。そうです。主は二人の伝道者を用いて「御恵みのことばを証しされた」のです。 Ⅲ.迫害の中での福音宣教 考え方の違いや立場の違いなどによっても分裂は生じました。ユダヤ人たちは、使徒たちに反対 し、ふたりを石で打って殺そうとしました(4-7節)。主イエスの福音を真正面からストレート に語れば語るほど、ユダヤ人から反発とともに、迫害は激しさを増してゆきました。ユダヤ教徒 にとって律法に基いてなされる石打ちの刑は、神が容認されている正しい行いであると確信して いたのです。ですから、ユダヤ人たちは間違いなくふたりを石で打ち殺したに違いありません。 危機一髪のところで彼らの命が救われたのは、主の恵みによるのです。 パウロは人生の中で多くの迫害を経験していますが(Ⅱコリ11:23-27)、いつも共におられ る主が彼を窮地から救い出されたのです。パウロとバルナバの信仰が素晴らしいのは、イコニオン で辱められ殺されそうになったのに、次の場所に移ったあと、再び主イエスの福音を宣べ伝え続け たことであります(6‐7節)。 【 結 論 】 キリスト教会は今、新型コロナウイルス感染症の影響を受け、大変な困難に遭遇しています。 福音を熱心に伝えようとすればするほど、迫害も激しくなります。それでも、パウロやバルナバの ように福音宣教の働きの手を緩めてはなりません。愛する家族や求道者に、そして敵対する人々 にも、愛をもって仕えてまいりましょう。 主を信頼し、永遠のいのちに至る祝福を宣べ伝えてまいりましょう。主のご栄光のために。 |