主日礼拝 | 「主は生きておられる」 | 2021年9月5日 松下 信 牧師 |
列王記第1 17章1~7節 | ||
Ⅰ.「生きておられる主」を信じる 自然災害や疫病を経験し人間の限界と無力さを知る時、私たちは何に希望を置き、何に救い を求めればいいのでしょうか。 紀元前9世紀のサマリアにおいて、イスラエルの王アハブは 3年間の飢饉を経験しました。 これはイスラエルの神、主のご計画であり、預言者エリヤを とおして語られた「主のことば」によるものでした。 エリヤに次のような主のことばがあり ました。 「ここを去って東へ向い、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。あな たはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」(3節) 飢饉がイスラエルを襲った時、エリヤも困難な生活を経験しました。 しかしエリヤを空腹や 渇きから救われたのは「生きておられる主」でありました。エリヤも生きておられる神を信じ、 そのみことばに従いました。 しかも彼には、その時々に相応しく主のことばが与えられまし た。 Ⅱ.「生きておられる主」に従う エリヤは主の導きに従い、ケリテ川のほとりに身を隠し、川の水で命をつなぎ、毎日朝と夕 の2回、数羽の烏がパンと肉を運んで来るのを待ちわびて、空腹を満たしていました。しかし ケリテ川も涸れ、飲み水もなくなってしまいました。 イスラエルに、ケリテ川の上流にも雨 が降らなかったからです。 再び主のことばがエリヤに臨みました。彼は主のことばのとおりに、シドンのツァレファテ に行き、そこの一人のやもめに養われて生き延びることができました。主がやもめの持ち物 であるかめの粉と壺の油を絶やすことなく増やされたからです。やもめと彼女の息子、それに エリヤも長い間それを食べ続けることができました。 Ⅲ.「生きておられる主」に祈り求める 三年目となり、主の導きによってアハブ王の前に出たエリヤは、カルメル山において450 人のバアルの預言者と霊的な戦いを繰り広げました。 バアルの預言者たちの祭壇と主の預言 者の祭壇の、どちらの祭壇に天から火が注がれるかを競うものでした。 それはバアルと主の どちらの神が、真に「生きておられる神」であるかを証明するための戦いでありました。 そして、この戦いに敗れた神とその神に仕える預言者は命を絶たれる定めにありました。 バアルに仕える預言者たちは、朝から真昼までバアルの名を呼び続けましたが、バアルの 神は何も応えてくれませんでした。 エリヤは壊れていた祭壇を築き直し、その上に薪を並べ 一頭の雄牛を切り裂いて薪の上に載せました。 彼が進み出て祈ると、主の火が降り、全焼の ささげ物と薪と石と土を焼き尽くしました。 民はみな、これを見てひれ伏し、「主こそ神 です。主こそ神です。」と言いました。 バアルの神は無力で空しい神でしたが、イスラエル の神、「主は生きておられる」力強い神であることが証明されたのです。 【 結 論 】 疫病の恐怖と自然災害の中にあって、私たちは「生きておられる神」を信頼すべきであり ます。 この苦しみから救い出していただくために、主に祈り求めようではありませんか。 非常に初歩的基本的なことですが、エリヤのように主に従順に従う信仰をもって歩んでまいり ましょう(ヤコブ5:16‐18) |