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主日伝道礼拝 「幸いな道を共に歩もう」 2022年7月17日

 廣坂洋行伝道師
詩編 1篇
I. 主のおしえを喜びとする者たち
 教会に集い、主のみおしえ、神のみことばを聞く者たちは「幸い」だ。礼拝で宣教のことば
が語られ、日曜日ごとに、そのことばが聞かれているということは、「幸い」だ。私たちは
「幸い」なのだ。  
 キリストの教会は「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」者たちが集ま
る、幸いな者たちの集まりである。 教会は文字通りに「昼も夜も」聖書のことばに聞きつつ
一歩一歩あゆんでいる。 朝、目がさめるとともに聖書を開き、祈りをもってその日一日を始め
るという信仰者は多い。起き抜けでは集中できないので、通勤・通学の道のりで聖書を開くと
いう方もある。キリスト者が二人、三人集まれば、ミーティングの前に聖書を朗読してから、
その日の務めを始める。 食卓では聖書のことばから教えられたことを家族で語り合い、夕べ
床に着く前にはみことばをあらためて思い巡らしてから目を閉じる。  
 さらに一週間の初めの朝、日曜日の朝という貴重な時間を、会堂に集い、共に聖書に記され
た神のことばの朗読に聞き、宣教のことばを自分たちへの神からのメッセージとして受け止め
る。そのようなことを一年52週続けている。 教会は間違いなく「主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ」者たちの集まりである。詩篇1篇はそのような「主のおしえ
を喜び」とする者たちは「幸い」だと断言している。教会に集う者たちは「幸い」なのだ。

II. 幸いな道を共に歩もう
 もちろん、聖書を読んでいれば無病息災、万事OKというわけではない。 この詩篇1篇の歌
うたいは、主のおしえを喜びとする者を取り巻く厳しい状況を正しく把握している。 主のお
しえを喜びとするその人の周りには、大勢の悪しき者たちがいた。 一人の正しい者に対して、
1節では「悪しき者」、「罪人」、「嘲る者」と三つのことばが重ねられている。さらにこの
詩篇のもとの言語(ヘブル語)で見てみると、「主のおしえを喜びとする者」は単数形だが、
「悪しき者」、「罪人」、「嘲る者」はそれぞれ複数形で記されている。悪しき者たちに囲ま
れて、正しい者がぽつんと一人いるという光景が描かれている。
 そうであっても、「主の教えを喜びとする者」は幸いである。 一人ぼっちのように思われる
現実が目の前に広がろうと、「あなたは幸いだ、あなたは決して一人ではない」と告げる。
3節で、主のおしえを喜び、昼も夜も口ずさむ、その正しい者は、木にたとえられる。
それもまた「一本の木」である。1節で、たくさんの悪しき者に囲まれた正しい人が一人で
あったように、3節でも一本の木が描き出される。ただし、3節ではその一本の木を囲むの
が、水路となっている。それも豊かな水量をたもつ、涸れることのない水の流れを表している。
そして、いのちの水に恵まれた一本の木は、豊かな実りを結ぶ。
 一人の正しい者を、主は豊かな恵みで取り囲み、さらに神はその恵みが満ち溢れるほどに
なさる。 満ち溢れる神の恵みは、「正しい者の道は主が知っておられる」(6節)とさえ表現
される。 愛情豊かな親が、その子にただよいものを買い与えるだけにとどまらず、その子と
十分一緒に過ごし、その子をしっかりと抱きしめるように、恵みのみことばを語りかけ続ける
神は、そのみおしえのことばを喜びとする者たちの道を知って、共にその道を歩んでくださる。
主はこの地にいのちのことばを語りかけ続けておられる。そして、この幸いな道を共に歩もう
と呼びかけていてくださる。「主の教えを喜びとする」、幸いな道がここにある。

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