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主日伝道礼拝 「主イエスと語り合う道」 2023年2月19日

 廣坂洋行伝道師
ルカの福音書 24章13-35節
 私たちが「イエス・キリストを信じる」ということは、主イエス・キリストの十字架と復活を
信じるということである。 主イエス・キリストの十字架と復活には、この神と自分自身、そして
この世界の見方を180度転換させる力がある。 2000年以上、「イエスは主である」と礼拝し続
けてきた教会は、主イエス・キリストの十字架と復活から始まり、現在に至っている。

 けれども、教会を生み出した主イエス・キリストの十字架と復活は、その弟子たちですら受け
止めることのできなかった出来事であった。 エマオへの途上を後ろ向きで歩んでいた二人の弟子
にとっては、イエス・キリストの十字架の死は彼にかけていた望みが破れたことを意味していた。
そして、イエス・キリストが復活したなどとは信じられないことであった。 二人は復活を信じら
れず、暗い顔をして、エルサレムを後にして、黄昏時、後ろ向きに歩んでいた。
主イエスが近づいてきて、私たちと歩調を合わせ、共に歩んでくださるのは、そんな後ろ向きな
ときなのかもしれない。 私たちがまだ隣にいるのが主イエスだと気が付かないほどに落ち込み、
嘆いているときにこそ、主イエスは傍に寄り添ってくださる。

 ご自身の十字架の意味と復活を信じられるようにするために、主イエスがなさったことは興味
深いことに普通のことを語ることであった。 聖書全体からご自身について語ることであった。
ご自身が復活した証拠を、例えば宙を浮くとか、扉をすり抜けるとか、光り輝くとかいうような
ことはなさらなかった。 そうではなく、弟子たちの語ることばを聞いて、そこから丁寧にご自身
も語り出すことによって、主イエスは弟子たちが復活を信じられるようになさった。

 弟子たちが復活を信じられるようにと、主イエスがとった「聖書を語る」ということには、弟
子たちへの信頼がうかがえる。 弟子たちがその耳で聞き、心で受け止め、弟子たちに信じてほし
かったのだ。「うむも言わさず」というような関係にはしたくなかったのだ。神は私たちを奴隷
にしようとしているのではない。 神は私たちに「信仰」を求めておられるのだ。 だからこそ、
不信仰や疑いから取り扱われる。エマオへの途上をゆく二人の弟子の暗い顔の原因に触れておら
れる。 彼らのご自身への信仰、言い換えると人格的つながりを引き出そうとしておられる。
そんな聞き、語る神は、この朝も私たちの心のうめきを知り、そこにみことばを語りかけておら
れる。
 さらに、神の語ることば、主イエスの語ることばには、闇を照らす光があり、心を燃やす熱量
が込められている。 天地の造り主なる神は、その語ることばでこの世界を創造なさった。 その
ことばによる創造の第一番目は「光、あれ」であった。 神の語るそのことばによって闇に覆わ
れたこの世界は光を見た。復活がわからず、暗い顔で歩んでいた二人にも、まことの神である
主イエスは聖書のことばを語られる。 そうすると、次第に二人の心は熱く燃え出す。 みことば
の光に照らされていくからである。「あなたのみことばは私の足のともしび、私の道の光です」。
ダビデが歌ったとおりに、私たちの暗闇を照らすのは神のことばである。 その光と熱をもたら
す神のことばが今日も語られている。

 教会は正しく誤りなく神を知る道は、聖書に聞くこの道しかないと、その信仰を告白してきた。
神は一般的にただ存在する空気のようなお方ではない。 罪の中で苦しみ、暗闇で先の見えない
私たちを助け、私たちをいのちの光で照らすために、私たちに特別にみことばを語りかけておら
れるのである。 たとえ私たちが暗い顔で後ろ向きな歩みをしていたとしても。
 今日も、主はみことばを語っておられる。 他でもないあなたにみことばを語っておられる。
 主はあなたの隣で聖書を語ってくださっている。

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