主日伝道礼拝 | 「立ち上がり駆け出す力」 | 2023年3月19日 廣坂洋行伝道師 |
ルカの福音書 24章13-35節 | ||
1. 「からだのよみがえり」を信じる教会 「信仰の道」というテーマで1年間みことばに聞いてきた。聖書が唯一まことの神と語るお方 を信じるということは、道を進んでいくような動的(ダイナミック)なことだと繰り返し、みこと ばから教えられてきた。信仰は心の内面だけのことではなく、両手両足、からだ全体を使って なされる動的な事柄である。 エマオの途上の物語には、信仰者の身体がダイナミックに描き出されている。エマオへの道を ゆくその足取り、話し合い、論じ合う声。また食卓の光景。パンを取り、裂く、主イエスの手。 その瞬間に開かれる弟子二人の目。 燃えるような熱を帯びた心。 そして、二人は立ち上がり、 エルサレムへ駆け出し戻っていく。 十字架にかかって、私たちの罪のために死なれた主イエスは復活なさった。からだを伴って 復活なさった。 そのような主イエス・キリストのからだのよみがえりは、信仰者に「立ち上が り駆け出す力」をもたらす。 主イエス・キリストの復活された日曜日、その「立ち上がり駆け 出す力」をいただき、私たちも新しい1週間へと進み出そう。 キリスト教信仰において、からだは大切である。 信仰は決して心の中だけの秘め事ではない。 それは信仰者のからだを生かし、世界を造り変えるダイナミックな力となる。 私たちが信じ、 礼拝する神は、この天と地、その中にあるすべてのものの創造主である。 神が創造されたもの は「よいもの」であった。 この世界は偶然の産物でも、失敗作でもない。 この世界は神の傑作 である。 もちろん、私たちのこのからだも神のよく造られたものである。 そして、十字架に おかかりになられて、私たちのために死なれた主イエスはからだをともなってよみがえられた。 エマオの途上に続くルカの福音書のみことばには、足を見せ、食事をとる、復活の主イエスの お姿がはっきりと記されている。 そして、主イエス・キリストを信じる信仰者は、よみがえら れた主イエスとともにやがて「新しいからだ」に造り変えられる。 主イエス・キリストの復活 にはその希望が込められている。 2. 復活の主は「立ち上がり駆け出す力」を教会にさずけた 主イエスに聖書を解き明かされ、さらに裂かれたパンを受け取って、盲目だった二人の弟子 の目は開かれた。 そして、心が熱く燃える。もう日も沈んで、あたりも暗くなり始めているの に、復活の主イエスと出会った二人はそこから立ち上がる。そして「主は今生きておられる」と 語るために、仲間たちのもとへ戻っていく。そのように立ち上がり駆け出したのは、エマオの 途上を歩んだこの二人だけではなかった。 復活の主イエスと出会った弟子たちは、立ち上がり 駆け出すこととなる。 キリストの弟子たちは「エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および 地の果てにまで」主イエス・キリストの福音を告げ知らせる証人となった(使徒1:8)。 その証言のために、自分のからだといのちまでもかけるほどであった。 復活は歴史的事実である。 自分たちの思い込みや作り話のために、自分のからだといのちま でかけるだろうか。 そして、それが世代を超えて語り伝えられるだろうか。 今や、この日本に まで主イエス・キリストの復活は語り伝えられ、信じられている。 さらに、その復活を信じる 信仰ゆえに、礼拝がささげられ、賛美の歌が高らかにささげられているのである。 主イエス・キリストの復活は今日も私たちに「立ち上がり駆け出す力」を与えている。 その力を受け取って、私たちも立ち上がり駆け出そう。 |