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主日伝道礼拝 「私たちが祈る前から」 2023年4月16日

 廣坂洋行伝道師
マタイの福音書 6章9-13節
1. 先立つ神さま
 今月から主イエス・キリストが教えてくださった「主の祈り」を学んでいく。 今朝は、祈りの
ことばに先立つ、「ですから、あなたがたはこう祈りなさい」ということばを味わいたい。
 聖書の神に祈るということ、「主の祈り」を祈るということ、教会のいのりを祈るということ
は私たちが祈る前から、私たちを知り、私たちの求めを知り、私たちに必要なものすべてをご存
知で、さらにその必要を喜んでお与えくださるお方に、祈るということである。「ですから……」
という接続語は、その文脈の直前を指示する。「ですから」が指し示すのは、マタイ6:8の「あ
なたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです」
ということばである。
 聖書的な祈り、そして私たちがなすべき祈りは、私たちのうちから溢れる宗教心ではない。
むしろ、私たちの心は何をどう祈ったらよいのか分からず、うめくようである。 どこを向いたら
よいか分からず、だれに声をかけたらよいか分からないのだ。 けれど、そんな私たちに先立って
神は「祈りなさい」と呼びかけてくださる。 その「だから、あなたがたはこう祈りなさい」とい
う呼びかけに答えて、私たちは「天にいます私たちの父よ」と神を呼ぶのだ。
 私たちが神を創り出したのではない。 そんな小さな神を礼拝する必要はないだろう。
そうではなく、神がこの世界と私たちよりも先におられて、私たちとこの世界を創造なさったの
である。 信仰の父アブラハムが悟りの中で神を見出したのではなく、神がアブラハムを選び、
アブラハムに声をかけたのである。 イスラエルの民が立派だったから彼らが神の民とされたので
もなかった、ただ神の先立つ選びの中で、イスラエルの民は御救いにあずかったのである。

2. 祈りを聞いてくださる神さま
 「ですから……」に先立つのは、「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたが
たに必要なものを知っておられるのです」ということばであった。 ここで、父なる神さまは私た
ちの必要をすべてご存知である、「だから、祈らなくてもよい」、「祈っても祈らなくても、ど
うでもよい」とは言わない。神がすべて「ご存知だけど」、いや「ご存知だから」、私たちは安
心してこの方に祈ることができる。この方にだれにも打ち明けられない悩みも、馬鹿にされそう
な夢、ことばにならないうめきも、お伝えできる。それは、神さまは私たちの祈りのことばを聞
きたいと願っておられる、愛なるお方であるからだ。神さまはあらかじめ定められたプログラム
にしたがって、この世界を導くロボットではない。私たちの祈りを聞きたいと思い、私たちを愛
しておられるお方なのである。
 まさに子どもの親が、まだいろいろと隠しきれない幼い子どもの胸のうちを知りながらも、そ
の子の一言一言を愛おしむように、神は私たちのことばを、祈りのことばを聞きたいと耳を大き
くし、顔を近づけて、聞いてくださるのだ。
 その神の愛は、まことの神が人となってこの世にくるほどの迫る愛である。私たちに主の祈り
を教えてくださった主イエス・キリストは、まことの神であった。 人となられたまことの神で
あった。 まさに、私たちの祈りを聞こうと、私たちの必要を実現しようと、神御自身がこの世に
来てくださったのである。
 主の祈りは「神がまず私たちを愛してくださった」ということの証しであり、さらに主の祈り
を祈ることは、その神の愛に応えることだ。
 「祈りなさい」と言われる主に、「父よ」とともに祈ろう。
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