主日伝道礼拝 |
「天にいます私たちの父よ」 | 2024年1月21日 廣坂 洋行 伝道師 |
マタイの福音書6章9節~13節 | ||
主イエスさまがお教えくださった「主の祈り」から祈りを学ぼう。私たちが祈る前から 神はみことばをお語りくださり、そのみことばに私たちが応えて祈るのを待っておいでに なられる。私たちは天と地とその中にあるすべてを創造された万物の主に祈ることができ る。 祈りは抽象的なものではなく、確かにそこにおられる神に語りかけることである。 だから、私たちが祈るとき、まず祈りを聞いてくださる神に呼びかけることから祈りは始 まる。 主の祈りは「天にいます私たちの父よ」という父なる神への呼びかけから始まる。 1. すべてをお与えくださる父なる神 主の祈りを祈り続けることで、私たちが身につけるのは、神が私たちの父だということ である。「父なる神」と聞いてどのようなことを思い描くだろうか。 幼き日、両親から 受けた愛を思い出すだろうか。 抱き上げられた父の腕を思い出すだろうか。懸命に働き に出かける父の背中を思い出すだろうか。 もし、父についてのよい思い出があるならば、 それがそのまま父なる神のイメージと重なり合うかもしれない。 そして、そのような 優しい父なる神に祈ることができることは、私たちにとって大きな恵みとなるだろう。 一方で、父と聞いて、悲しく、暗い思いを抱く方もあるだろう。父からの愛を十分に受 け取ることができなかった方があるかもしれない。 父不在の家庭ももちろんあるだろう。 「父なる神」と聞いても、悲しみや恐怖を思い浮かべることしかできない方もあるかも しれない。 けれども、父なる神は、私たちが思い浮かべる父の姿を、すべて超越してく ださる父なる神である。 このお方は人の父親が与えることのできないものすべてを私た ちに恵みお与えくださるお方だ。 ご自身そのものすらも、恵みお与えくださる。 2. 「私たち」の父 「天にいます私たちの父よ」。 この呼びかけは「私たち」の父に呼びかけている。 この「私たち」とは誰のことを指すのだろうか。 主の祈りを共に祈る会衆一同を指すの かもしれない。 私たちはみな同じ唯一の父なる神をもっている。 けれども、ここでの 「私たち」ということばで私たちが見逃してはならないお方は、この祈りを教えてくだ さり、共に祈ってくださっている主イエス・キリスト、そのお方である。 そもそも、私たちが神さまを「父」と呼べるのは当たり前のことではなかった。私たち はこのお方に創造された被造物であった。 さらにこのお方の前で罪を犯し、このお方に 背を向けた存在であった。 しかし、まことの神のひとり子、主イエスさまが私たちを 贖ってくださったので、私たちも神を「父」と呼んで祈ることができるようになったの である。 3. 天の父 主イエスさまの贖いによって、私たちは天の父なる神の家族に迎え入れられたのであ る。 天の父なる神さまは私たちにすべてのものをお与えになるほどに恵みに富んでおら れるお方である。 ご自身そのもの、ご自身の御国すべてを、神の子とされた私たちに 恵み与えようとしておられるのである。「天」ということばは神さまご自身の持つ完全 性を指している。天の父は単に上の方に神さまがおられるということ以上に、神さまが 完全なお方であることを意味している。 その完全な天の父の恵みを主の祈りを祈りつつ、 受け取ろう |