主日伝道礼拝 |
「良い土地とは?」 | 2024年3月17日 松下 信 牧師 |
マタイの福音書13章1節~23節 |
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『4つの種』のたとえ話を幼稚園で語りました。 「ある人が畑に種を蒔きました。 1番目の種は道端に落ち、小鳥に食べられてしまいました。 2番目の種は石だらけで土の少ない所に落ち、芽は日焼けして枯れてしまいました。 3番目の種は茨の中に落ち、芽は茨に妨げられ成長できず枯れてしまいました。 4番目の種はやわらかくてよく耕された畑に落ちました。その種は芽を出し成長し、非常に多く の実がなりました。 イエスさまはこのたとえをとおして、『神さまのお話を聞いている人の心は、 やわらかくてよく耕やされた畑のようです。』と教えられました。 教会でお話しするときは「救いについて」明瞭・明確に語れるのに、キリスト教精神によって幼 児教育をしている幼稚園では、それをほとんど語ることができません。 園児のご家庭はキリスト を信じる信仰があるわけではなく、一番目から三番目の種が落ちた悪い土地に該当する心の 在り方にたとえられます。 子どもたちもご両親の影響下にあるのは当然のことであります。 「救い」を強調しすぎることで、保護者や園児、また教職員との間に決定的乖離(かいり)が生じ 幼稚園の雰囲気が悪化しかねない可能性があります。 この『4つの種』のお話も「神さまのお話を聞いている人の心は、やわらかくてよく耕やされた 畑のようです。」という結論にしました。しかし、イエスさまがこのたとえをとおして教えている みことばの本質からは、程遠いものです。幼稚園では「魂の救い」よりも、倫理・道徳的な教えを 強調する傾向にあるように思います。このような意味において、幼稚園と教会とでは全く異なって います。キリスト者が一番大切にしている「霊的救い」を真実に、かつ真っすぐに語ることができ る横浜白山道教会のような環境こそは、他の何物にも代えがたい大切なものであると思います。 「神さまのお話を聞いている人の心は、やわらかくてよく耕やされた畑のようです」 との結論 の中にある「やわらかくて」という言葉は「良い土地」のことであり「みことばを聞いて悟る人」 を意味しています。 まさに、御国のことばを信じ受け入れ、信仰を持って救われた人を表現し ています。 「やわらかい心」とは、神さまの御前にあって、自らの罪を認め告白する謙遜な心で あり、神のみことばを受け入れる貧しい心であると、確信しています。教会が、明確な信仰にあ ずかり、救いの確信にあずかっていることは、何とすばらしく大いなる祝福なのでしょうか。 天の御国への希望に与る「永遠のいのち」の信仰は、人間にとって最高・最善の恵みです。 最後に、信仰に生きる人々の祝福を謳っているへブル書をお読みして終わります。 (へブル11:1-16) 【 結 論 】 良い土地とは、信仰を持って御国のことばである種を受け入れることができる柔和な心であり ます。 キリスト者にとって、主を愛し主に従う信仰は絶対的なものであり、必要かつ欠くべから ざる賜物なのであります。 |