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主日伝道礼拝
「私たちの主の祈り」 2024年3月17日

 廣坂 洋行 牧師
マタイの福音書6章9節~13節
  主イエスさまが弟子たちにお教えになられた祈りから、私たちに与えられた豊かな祈りの
世界を学んでいる。

1. 「私たちの……」と祈り出す
 主の祈りは聖書が大切にする神から人への順序に従って進んでいく。「すべての中で、どれ
が第一の戒めですか。」と尋ねられ、主イエスさまは次のようにお答えになった。
「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。 あなた
は心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』
第二の戒めはこれです。 『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要
な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:28-31)神を愛する愛から、人を愛する愛へと
進んでいく愛の形を聖書は大切に重んじている。 主の祈りはその構造に従って進んでいく。
 主の祈りは前半、「神さま、あなたの御国が来ますように」、「神さま、あなたのみこころ
が行われますように」と神のみこころをもとめて祈っていた。 そして後半に入り、「私たちの
日ごとの糧を、今日もお与えください」、「私たちの負い目をお赦しください」、「私たちを
試みにあわせないで、悪からお救いください」と、いよいよ「私たちの……」という祈りが始
まる。

2. 個別具体的な祈りの世界
 主の祈りを覚えて祈っていると、あまりにすらすらと祈れてしまい、何も考えなくても祈れ
るようになってしまうことがある。まるで呪文を唱えるように、祈ってしまうことがあるので
ある。 祈りは呪文ではなく、「ですから、あなたがたはこう祈りなさい」という主なる神さま
の恵みに答えることであるから、ゆっくりとしっかりと祈りたい。 ただ、すらすらと祈ってい
るときでも、「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください」という祈りのことばが始まる
とき、主の祈りをいのる私たちは思わず一度立ち止まるのではないだろうか。日々の食事のこ
とも祈るのだと祈りの世界の豊かさに引きこまれるのである。
 祈りは私たちの日々の生活から遊離した宗教的なお勤めではない。祈りは私たちの日常生活
に深く密着する個別具体的な事柄である。 「日ごとの糧」のことから祈り始めるのである。
神さまは種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしない空の鳥さえも養ってくださ
る。 働きもせず、紡ぎもしない野の花さえも育ててくださっている。
 私たちの「日ごとの糧」のこともご計画をもってくださっている。

3. 主イエスさまが祈られたように
 「私たち」と祈る時、そこにいる祈りの広がりを覚えたい。 「天にいます私たちの父よ」と
祈り始めた祈りの世界は、垂直方向と水平方向の広がりを見せるのである。 私たちの祈りは確
かに神に聞かれている。 だから祈りは垂直方向の広がりを見せる。 さらに、「私たちの……」
と祈るとき、私たちの隣にはともに主の祈りを祈る信仰の仲間たちがあることを思い出す。
その信仰の仲間たちは主の祈りが祈られる長い歴史も私たちに思い出させてくれる。
 そして、その「私たち」の響きの最初には、私たちに主の祈りを教えてくださった主イエス
さまご自身がおられることを忘れてはならない。「私たちを試みにあわせないで、悪からお救
いください」。 この祈りは他でもない、主イエスさまご自身が十字架におかかりになる前夜、
ゲッセマネの園で祈られた祈りと呼応している。
 私たちは主イエスさまが祈られたように、主の祈りを祈り続けよう。

  *井上牧師は5月号より執筆されます。 
   今回は3月17日に予定されていて急な体調不良で宣教出来なくなった廣坂師が、
   準備されていた「主の祈り」の最終会を掲載しました。 
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