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「平和をつくる者」 井上 慎治 牧師
マタイの福音書5章9節

「平和をつくる者」とは、「心に神の平和を賜り、それが人格、生き方から自ずとにじみ出る人。
それによって他の人との間に神の平和が築かれていく人」のことです。

平和を失った人間の現実 
 創造された当初の人間は、エデンの園において創造者である神と顔と顔とを合わせて語り合う
ほどの親しい関係性にありました。しかし、堕落(創世記3章)によって、それは決定的に壊れて
しまい
ました。神に禁断の木の実を食べた事実を咎められた男は、「私のそばにいるようにとあなたが与
えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」と答えます。
女への責任転嫁を超えて、その女を与えた神に責任があるのではないかというのです。神との親し
い平和な関係性は、堕落の結果、敵対関係になりました。また、人間関係も、互いに補完し合う平
和な関係から、責任転嫁、依存、支配という敵対関係になりました。堕落によって人から失われた
平和と平安は、堕落の現実を認め、神に信頼し、神の契約に従う人に、賜物として与えられるもの
です。人間の努力によって実現するものではありません。
     (レビ記 26:3−6; 民数記 6:24−26; 歴代誌第一 22:7−10; 詩篇 94:12−13;
     エレミヤ 29:11; マラキ 2:5; ルカ 2:14; ヤコブ 3:17 など)。

「平和を憎む者」とは
  「平和を憎む者」という表現が詩篇 120 篇に登場します。平和を憎む者の特徴は、「偽りのく
ちびる」「欺きの舌」です。つまり、「平和を愛する」と言いながら、平和の実現のために戦う、
という矛盾を孕んだ人々のことであり、実際には平和を遠ざけているような人々です。詩人自身も
また、平和への努力を存分に挫かれ、自分が平和を憎む欺きの舌であったことに目が開かれました。
そして、神への信頼からかけ離れたこの世界からの救いを求めて、神にあるまことの平和を渇望し
て、神を呼び求めたのです。

 詩人のように、苦しみの中で自分の過ちを悟り、自我や自力を砕かれた人に、イエスと同じ、人
の力によってではない優しさ、穏やかさ、柔らかさが備わるのではないでしょうか。そしてその人
柄を通して、主にある平安が関わるすべての人に自ずとにじみ出ていく。それが、平和をつくる者
ではないでしょうか。そのような人は、イエス・キリストと共に「神の子どもと呼ばれる」最高の
特権を享受します。途方も無いことのように思えますが、しかし、みことばと共に働き、私たちを
新しく造り変えてくださる聖霊なる神に導かれて生きるなら、神が成し遂げてくださるのです。
 まことの平和は、神のもとにしかありません。しかし、私たちが神と共に歩み、神の平和の中で
喜んで生きるなら、私たちが存在するその場所に、神の平和が確かに実現されていくのです。
 ですから私たちは、神の平和の道具として、神が働きやすいように、みことばによって整えられ
ていきましょう。

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