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「キリストのからだである教会」 井上 慎治 牧師
コリント人への手紙第一 12章27節
 教会と訳される「エクレーシア」は「呼び集められたもの」を意味します。教会は本質的には、
神に召し出され、キリストの十字架によって贖い出された信仰者の集まりです。
そしてパウロは、信仰者の集まりである教会は、キリストをかしらとするキリストのからだであ
り(コロサイ 1:18)、一人ひとりの信仰者は「その部分」なのだと教えています。

キリストにつなぎ合わされている (ヨハネ 15:4−5)
 キリスト者一人ひとりは、キリストのからだである教会の一つの部分として、かしらであるキ
リストにつなぎ合わされています。 信仰人生の具体的な中心は教会であり、教会を離れて主にあ
る喜びといのちの信仰人生を生きられません。 教会につながり、キリストから栄養分を供給され
続けてこそ、私たちの具体的、実際的な信仰が育ち、その信仰人生が大いに実を結ぶのです。

違う特徴を持つ各部分が、同じ血と肉とを共有している (Tコリント 12:4−27) 
 現代は、複雑な人物事を「白か黒か」「右か左か」「敵か味方か」と単純に乱暴に振り分ける
ような時代です。キリスト者であっても、そのような物差しをお互いに向けてしまうものですが、
教会とは、違う強みと欠けを持つ一人ひとりがキリストへの信仰においてのみ同じです。
教会の健全さは、それぞれの違いや複雑さを内包していることにあります。 同時に、各部分で
ある一人ひとりが愛をもって一致し、それぞれの強みをもってそれぞれの欠けを補い合い、配慮
し合い、喜びと痛みを共有するのです。

かしらの考えることを実行する (マタイ 4:23) 
 それぞれに強みと欠けが違うキリスト者が、同じ血と肉を共有するキリストのからだとされ、
愛をもって一致し、補い合い配慮し合うのは、すべて、かしらであるキリストの考えること、す
なわちキリストが弟子たち及びすべてのキリスト者に託された使命 (福音宣教、信仰教育、奉仕)
を実行するためです。この使命を果たすために、知恵を出し合い、助け合い、神の御前で自分に
できることに一杯取り組む。それがキリストのからだである私たち一人ひとりの「義務 (正しい
務め)」です。

 礼拝の形、交わりの在り方、伝道活動の方策、組織の構造。教会には、さまざまな「変え得る
事柄」があります。 教会とは何か、教会の使命とは何か、これらの視点に立って、いつもこの集
まりの在り方を点検することが大切です。 同じ方向を向いて、今の自分の精一杯で「正しい務め
」に取り組でいくなら、主なる神が、私たちの力を覆って余りあるその力を働かせて、そのみわ
ざを現してくださるのです。 このことに信頼して、今年も信仰に生きていきましょう。

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