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「救いは狭き門」 | 井上 慎治 牧師 |
マタイの福音書 7章13〜14節 | ||
山上の垂訓は、7章13節から27節の「いのちか滅びか」という三つの譬(たと)えをもって 閉じられます。 その一つ目は、「滅びに至る大きい門、広い道」からではなく「いのちに至る 狭い門、細い道」から入れ、という譬(たと)えです。 滅びに至る大きい門 キリストは、「滅びに至る門は大きく、そこから続く道は広い。いのちに至る門は非常に狭く、 その道も非常に細い。いのちに至る狭い門から入り、細い道を進んで行け」と語ります。 聖書は、私たちの人生のゴールは「永遠の滅び」か「永遠のいのち」かの二つに一つであり、目指 すゴールに辿り着く正しい道を選び、そこを最後まで歩み続けたかどうかで決まると言います。 大きな門、広い道とは、パリサイ人たちの形だけの宗教、人間のルールや規則に盲目的に従う生 き方、自分の欲を満たすための自分第一の生き方という、「地上に宝を蓄える」生き方のことです。 それは、罪のままに自分の目に正しいと思えることに突き進む道、まことの神との断絶の道、不確 かで無力な自分自身に信頼するほかない悲惨な道です。最期には、すべてを手放して死に、永遠 の滅びに入れられます。 いのちに至る狭い門 狭い門、細い道とは、山上の垂訓で命じられたすべての教えに生きる道です。心の本質を問う生 ける神のことばによって自分自身を変え続ける道、神の国とその義とを第一に求める道、人からし てもらいたいことは何でも同じように人にする道、「天に宝を蓄える」生き方のことです。 それは、自分自身の罪と向き合い続ける、大変で、地味で、魅力的には思えない道です。それで も、その先に永遠のいのちの喜びが、天国の喜びが待っています。まさに「心の貧しい者は幸いで す。天の御国はその人たちのものだから」、ということです。 まことの神は、私たち人間の表面的な装いではなく、心の真実をご覧になります。神の前では、 すべての人間は永遠の滅びに入るべき罪人です。 身に着けているいろいろな地位や名誉や富と それに関するプライドなどを全部脱ぎ捨てて、丸裸になって「イエス様、ごめんなさい」と言って 狭い門をくぐり、細い道を行く人だけが、天国に入るのです。それが救いであり、そして教会とは、 そのような集まりです。救いは、狭き門です。自分の罪と心の醜さと向き合い続ける道の先にあり ます。 ですが、その先に約束されている永遠のいのちのゆえに、その道を行く人生は、いのちの喜びに 満ちています。 |