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「創造されてものとして」 井上 慎治 牧師
伝道者の書12章1節~2節
 何のために生きるのか。人生に意味はあるのか。これらの究極の問いに対して、現代社会(とChatGPT)
は、「人それぞれ」「自分次第」と答えます。 しかし聖書は、すべての人に共通して当てはまる普遍的な
答えがあると明言しています。

I. この世界の創造者 (創世記 1:1-5)
 唯一まことの神が、六日間にわたって、天地万物を創造しました。何の材料も無いところから (「無から
の創造」)、明確な目的と秩序の中でデザインされ (「ことばによる創造」)、神の最高傑作として造られまし
た (「良いものとしての創造」)。
 一方で、日本の公教👉では、「ビッグバン理論」「進化論」など、偶然の積み重ねで世界と生命は生まれ
たとする証明不可能の「仮説」が「事実」として教えられています。偶然には目的も意図も秩序もありま
せんから、「人生には何の目的もありません」と教えているようなものです。

II. 創造の目的 (詩篇 8:3-4; 詩篇 19:1-3; 詩篇 100 篇)
 人生の目的、それは、創造者である神を喜び、神に感謝し、神をほめたたえ、神を礼拝することです。
神を礼拝する時に、私たちが造られた目的は果たされます。それこそが「良い」生き方だということです。
神は、そのような私たちを喜んでくださるのです。 私たちは人生の旅路において、日々、選択と決断を
迫られます。自分の能力や適性を考えて、一つ一つの物事に真剣に取り組んで、よく考えて、物事を決断
していくほかありません。ですが、その土台が大切です。「私は神の最高傑作として造られ、神を喜び礼拝
するために生きているのだ」ということを人生の土台に置くなら、本当の喜びと生きがいに溢れる人生を
生きることができます。そのような人生を、創造者は、私たち創造されたものに願っておられます。

III. 創造者を覚える (伝道者の書 12:1-2)
  「良い」という状態は、神のもとから離れている以上、全く壊れてしまっています。異教の神々を礼拝
したり異教の施設を参拝したりすることだけではなく、身の回りの道具、金銭、人間関係、社会的地位、
業績、自分自身などへの執着もまた、創造者以外のものを神々とする「偶像礼拝」です。 「創造者を覚
えよ」とは、「あなたを良いものとして造られた神を覚えなさい」ということです。言い換えれば、創造
されたもの、神の最高傑作としての生き方、神を喜び、神を礼拝する人生に帰って来なさい、ということ
です。
世の終わり、新天新地がもたらされるとき、全ての人は、「造られた者として、神の良い作品として生きた
か」と結果報告を求められます。

 創造者を覚え、あるべき正しい在り方に立ち返りましょう。
 創造者を愛し、喜び、礼拝する人生を歩むことが、私たち「創造されたもの」の人生の目的です。
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