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「今、生きて働かれる神」 井上 慎治 牧師
ローマ人への手紙8章28節
 創造主である神が、世界を保ち治めておられるという信仰を、教会は伝統的に「摂理」ということば
で言い表してきました。この世界を創造した神は、今も生きておられて、この世界と、そこに生きる私
たちの人生に働きかけておられる摂理の神です。

I. 創造された世界を保ち、治める (詩篇 104 篇)  
 18 世紀の欧米において「啓蒙思想 (合理主義)」が流行し、「理神論」という思想が生まれました。
簡単に言えば、「神の創造は認めるが、神の摂理は認めない」という思想で、神によって創造された世
界は、神に与えられた法則に従って、機械のように自動的に合理的に動いている、神はもうこの世界に
関わってはいない、と考えます。  聖書においてご自身を啓示している神は、創造した世界を配慮を
もって保ち、治め、時に特別に介入されます (特別啓示)。 聖書自体、神がこの世界に特別に介入され
たということです。
確かにこの世界には、創造主である神によって、諸々の法則が与えられています。
しかし、それらは創造主である神の手を離れては機能しません。世界が今このように動いていること、
世界に生きるあらゆる生きもの、私たち人間が、日々の糧を得て生きていることは、すべて創造主で
ある神が、その御手のうちに配慮をもって保ち、治めておられるからです。

II. 私たちの人生に対する神のご配剤 (創世記 45:4-8; ローマ 8:28)  
神の摂理は、「配剤」(ほどよく取り合わせること) や「按配」(ほどよく物を並べること) ということば
で表現できます。 旧約聖書のヨセフ物語は、摂理について見事に教える箇所の一つです。ヨセフの苦
しみの人生は、すべて神の摂理による最良のご配剤でした。神の摂理とは、神が永遠の御旨にした
がって、私たち一人一人の人生に関わり、人の罪や悪をも含めたすべてのことを働かせて、配剤し、
按配して、私たちを救い、神に喜ばれる者として整えてくださる、現在進行形の御わざです。

結)
 神の摂理を信じることは、「私たちの人生に、意味の無いこと、無駄なことは一つも無い」という新し
い世界が開けていきます。人生の良いことも悪いことも、神を抜きにして考えるなら、全ては偶然です。
私たちの人生の苦しみ、悩み、悲しみは、決して報われないということです。
 今、生きて働かれる神が、この世界を治めておられる。私の人生に積極的に関わり続けてくださって
いる。すべてのことをちょうどよく取り合わせ、並べてくださっている。そう信じるなら、人生の成功、
喜びも苦しみも、自分自身が犯した過ちすらも、すべてのことがともに働いて益となるのです。
 だからこそ、私たちは、逆境に置かれる時には、神にあって反省し忍耐強くなることができます。
物事が順調な時には、傲慢にならずに、神に感謝することができます。将来を見通す時には、この先の
人生に何が起ころうとも、そこには変わらない神の愛があるのだと確信することができます。すべての
ことは神のご支配の中にあります。
 私たちの目の前に続く人生の旅路を、今、生きて働かれる神に信頼して、力強く歩んで行きましょう。  
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