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「唯一絶対の規範」 井上 慎治 牧師
テモテへの手紙第二 3章16節
I. 神の霊感によって記された誤りのない神のことば (Ⅱテモテ 3:16)
 聖書 66巻は、1500 年の時間をかけて、およそ 40 人のそれぞれ違った背景を持つ人々 (羊飼い、
預言者、祭司、取税人、医者、漁師、天幕職人など) によって執筆されました。また、大きくヘブライ語
で書かれた旧約聖書と、ギリシャ語で書かれた新約聖書の二つに分けられますが、言語も異なります。  
しかし、それらすべては「神の霊感によるもの」です。すなわち神が、バラバラの時代、バラバラの背景
を持つ聖書記者たちを動かして神のことばである聖書を記させた、ということです。それぞれの背景、
個性、能力、状況などのすべてを用いて、法律文書、歴史文書、詩文、伝記、書簡などのさまざまな文学
ジャンルの中で、聖書を執筆させたのです。聖書の真の執筆者は神です。

II. 救いの道を教える (Ⅱ テモテ 3:15; ヨハネ 14:6)
 聖書の真の執筆者は神ですから、そこには一貫したテーマがあります。聖書の内容を簡潔に言い表す
と、「創造のはじめからやがて来たる世の終わりに及ぶ神の救いのご計画の全体が、救い主イエス・
キリストにおいて成就し、実現した」となります。 聖書は、神が、罪に堕落した人間を救うための救い
のご計画の全体を啓示する書物です。聖書は、読者に対して、自身の真実な姿を明らかにします。
聖書は、私たち人間はみな、罪人であると教えています。自己中心で、高慢で、情けない人間です。
そんな私たち罪人を救うために、イエス・キリストが来られ、十字架で死に、よみがえられました。
 私たちは、聖書を読むとき、自分が罪人であること、救いはイエス・キリストだけであることを知る
のです。私たちを救いに導くのは、神の霊感によって記された聖書だけです。

III. 信仰と生活の唯一絶対の規範 (Ⅱ テモテ 3:16-17)
 聖書 66 巻は「正典」「カノン」とも呼ばれ、その意味は「規範」「ものさし」です。聖書は、私たちの
信仰と生活に関する全ての事柄について判断をするためのものさしなのです。  私たちを救いに導く
のが聖書のことばだけなら、罪に汚れ、捻じ曲がっている私たちを変えることができるのも、聖書のこと
ばだけです。私たちの外側から、私たちを量り、試し、点検し、評価し、矯正する、客観的な真理である
聖書のことばを規範として生きるなら、そこに神が働いてくださり、私たちは神に喜ばれる人間としてま
すます整えられていきます。

結)
 大切にしたいことは、聖書が、「信仰」の唯一絶対の規範であるとともに、「生活」の唯一絶対の規範
でもあると告白されている点です。聖書のことばは、私たちの信仰においてのみ有効なのではなく、私
たちの生活の全領域に及ぶものです。ですから、聖書のことばを私たちの「信仰と生活」 の全領域を
貫く「軸」にしましょう。判断が難しい局面に立たされた時、難しい壁に直面した時、簡単に揺らいで
しまう自分にではなく、永遠に変わらない神のことば、聖書に耳を傾けましょう。
そうすると、その人はブレません。
私たちは、どこにいても、誰といても、何をしていても、キリストの御前で、キリストを信じるキリスト
者として、聖書を唯一絶対の規範として生きるのです。軸のある、一本芯の通った人生を目指していき
ましょう。
   
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