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「七回を七十倍するまで」 井上 慎治 牧師
マタイの福音書 18 章 21-35 節
I. 何回赦すべきか (21-22)
 弟子の筆頭であるペテロが、「兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか」と質問し
ます。ユダヤ教では、赦しの精神を示すには「三度」で十分と教えられ (ヨブ33:29, 30; アモス1:3; 2:6)、
日本では「仏の顔も三度まで」などと言われます。ペテロの「七回まで」というのはとても寛大な意見で
す。  しかしイエスは、「七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです」と答えます。ことば通
りの意味ではなく、無制限に、何度でも赦しなさいという意味です。  イエスの言うことは、無茶な話の
ように聞こえます。何度でも無制限に赦してやるとしたら、最初は申し訳なさそうな顔をしていた相手も、
図に乗って、いつからか平気な顔をして同じことをするようにならないか、と思えるからです。

II. 一万タラントの負債を免除する王 (23-27)
 1タラント=6,000 デナリ、1 デナリ=当時の一日分の労賃ですから、一万タラントは通常あり得ない
額の借金です。王は財産を売り払い、家族もろとも奴隷となって返済することを求めますが、家来は猶予
を求めます。そのかわいそうな姿を見て、王はあわれみ、借金をすべて免除してやったのです。
王は神、家来は私たち人間です。人間は、罪ある者であるがゆえに、生きているだけで神に損害を与え、
負債がどんどん増え続けているという事実があります。それは具体的には、律法違反・みことばへの不従
順という形で表に現れます。人は、神に対して負っている負債を自分で賠償することは不可能です。
神は、そんなどうしようもない罪人をあわれみ、イエス・キリストを十字架にかけて、全人類の身代わり
として殺し、そのいのちをもって私たち罪人の負債を代わりに返済させました。イエスを救い主だと信じ
るなら、私たちの罪は赦され、返すことのできない負債から解放されます。

III. 百デナリの借りを赦さない家来 (28-35)
 負債を免除された家来は、帰り道で出会った仲間に、貸している百デナリを今すぐ返済するように要
求します。そして、猶予を願う仲間を引いて行き、牢屋に放り込んだのです。  私たちは、自分に対する
さばきは非常に甘く、隣人に対するさばきは非常に厳しいものです。他の人を量る物差しと、自分自身
を量る物差しが、著しく違っています。  一部始終を聞いた王は、家来が仲間を量ったのと同じ物差し
で家来を量り直します。赦された人は、赦す人に変えられます。そうでないなら、その人は本当の意味で
自分の受けた赦しの価値を理解していません。

 赦しは、神からの贈り物です。「受けて当然」ではなく、受ける価値の無いものに施された恵みです。
この贈り物を受け取る鍵は、イエスを救い主だと信じることです。  無制限の赦しを実践しましょう。
私たちは「自分に甘く、他者に厳しい」ものですが、神の無限の赦しを受けたというのならば、同じよう
に隣人を無制限に赦す者として生きるように招かれたということです。私たちは自分の悲しみや怒りの感
情に囚われ、復讐に走りがちなものですが、自分に与えられた神の赦しを思い出すなら、赦す力が与え
られます。赦しを実践する時、その赦しは、相手を解放するだけではなく、自分自身をも解放することに
なります。  イエスを信じましょう。 そして、七回を七十倍するまで赦す力を、神から与えられましょう。
 
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