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「羊飼いの声を聞き分ける群れ」 井上 慎治 牧師
ヨハネの福音書 10 章 11, 14, 27 節
I. 聖霊によって召し出された神の民 (出エジプト 6:7; 使徒 2:1-4)  
 教会とは「聖霊によって召し出された神の民」です。旧約時代の神の民であるイスラエル民族の起源は、
神がエジプトの奴隷の家から彼らを召し出した出来事にあります(出エジプト6:7)。
召し出されたイスラエルの民は、神の召しに信仰をもって応えることを期待されていましたが、彼らは神
に背いて偶像を慕い続けました。結果、捕囚によって国と神殿と土地を失いました。
それは、形式的なイスラエルの終わりでしたが、「召し出された者たちの集まり」という「神の民」の本質
は残り続け、イエスの昇天後、ペンテコステの日に明らかにされます(使徒 2:1−4)。  
 聖霊によって力を受けた弟子たちは、イエスを宣べ伝え、三千人の人々が救われました。出エジプトの時
から流れる「神の民とは、神に召し出された者たちの集まりである」という本質が、キリストの教会として
公に現されたのです。  聖霊によって召し出された神の民。それがキリストの教会であり、いわば「まこと
のイスラエル」です。私たちの救いは、歴史の中で神がご自身の民を呼び続けて来られたのと同じ「召し」
が、聖霊の働きを通して、私たち一人一人に及んだということです。私たちが十字架のイエスを救い主だと
信じ、告白できるのは、聖霊によります。

. 羊飼いである主の御声にのみ聴き従う羊の群れ (ヨハネ 10:11, 14, 27)  
 教会は「主の御声にのみ聴き従う羊の群れ」です。「神の召しにどのように応えていくのか」ということ
です。イエスは、ご自身を「良い牧者」つまり「良い羊飼い」であると言います(ヨハネ10:11)。
羊は家畜化された動物で、野生で生きる力はありません。羊飼いは、羊のためにいつも十全の配慮をもって
養い育てます。同じようにイエスは、ご自身の群れである神の民(教会)のために、すべての良いことを為
してくださっています。その究極が十字架の自己犠牲です。  
 イエスに救われた神の民、教会にとって、「イエスの羊の群れ」として扱われるということほど、素晴らし
い特権はありません。その愛を一身に受けている教会が、自分の羊飼いであるイエスを同じように愛し、そ
の声を聞き分け、そのことばに従うのは当然だと期待されています。言い換えれば、みことばを愛し、みこ
とばに従順であるのが教会である、ということです。  信じさせ、従わせるのは聖霊の働きです。
 聖霊によって心を動かされつつ、なお私たちは日々、主イエスを愛し、その御声にのみ聞き従うことを選
び取るように招かれています。しかし、イエスの御声よりも、この世の理屈や常識、有力な人間のことばを
優先して聞き従っていることも私たちにはあります。教会がまず大切にしたいのは、「何をするか」よりも、
「誰の声を聞いて歩むのか」ということです。羊飼いの声を聞き、その後ろについて行くことによって、羊
として生きるのです。

 新しい一年、横浜白山道教会の歩み、集う一人一人の信仰人生が、羊飼いなる主の御声を聞き分けて、
主の御声に耳を傾けて、そのみことばに従っていくものでありますように。

 
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