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「帰るべき家」 井上 慎治 牧師
ルカの福音書 15 章 11~32 節

 ルカの福音書 15 章に記される「放蕩息子のたとえ」は、父のもとを離れた二人の息子と、どちらの
息子にも変わらぬ愛を注ぐ父の姿を通して、神の愛を私たちに示している物語です。

I. 家を捨てた息子 (11-16 節)  
 弟息子は父に「財産の分け前をください」と求め、家を出ていきます。 本来、財産は父の死後に受け
継ぐもので 、生前に要求するのは大変失礼な行為でした。 しかし弟は、家での暮らしが束縛のように
思えて、自分の力で 自由に生きたいと願ったのです。 ですが、何も持たずに出ていくのではなく、
ちゃっかり父の財産に頼った ということに、彼の根本的な甘えが表れています。
 遠い国に行った弟は、財産を浪費し、やがて激しい飢饉が起きて食べ物に困るようになります。頼る
者もなく、ユダヤ人にとって汚れた動物とされる豚の世話をしながら飢えと屈辱に苦しむことになった
のです。

Ⅱ. 我に返った息子を迎え入れる父 (17-24 節)
 弟息子は、ようやく自分の愚かさに気づきます。 父のもとでは雇い人でさえ豊かな生活をしているの
に、自分は罪の結果としてここにいるのだと悟るのです。そして、「息子と呼ばれる資格はありません。
せめて雇い人にしてください」と父にお願いしようと決心し、帰ることを選びます。  
 まだ家から遠く離れた場所で、父は弟を見つけ、走り寄って抱きしめました。そして最上の衣を着せ
家で祝宴を開きます。「お前は私の愛する息子だ」と行動で示す父の姿は、罪を悔いて反省する者を赦
し、喜んで迎え入れてくださる神の愛そのものです。

III. もう一人の息子(25-32 節)  
 一方、まじめに家にいた兄息子は、弟が帰って来たこと、彼のために宴会を開いていることを知って
怒ります。長年忠実に父に仕えてきた自分には何の褒美もなかったのに、勝手に遊び歩いて財産を使い
果たした弟が祝われるのは不公平だと訴えます。
 しかし父は「お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ」と語り、弟が戻ったこと
は「失われていた者が見つかった」喜びなのだと諭します。兄は、最も近くにいながら、父の愛を当た
り前として受け流し、気づかずにいたのです。

結)
 弟と兄は外から見ると全く違う性格ですが、実は「父の愛を愛として受け取っていなかった」という
同じ問題を抱えていました。 神の愛は、私たちの能力や努力によって与えられる愛ではなく、私たち
の存在そのものを喜んでくださる愛です。 私たちも、弟のように神から遠く離れてしまうこともあれば、
兄のように近くにいながら心が固くなってしまうこともあります。
 しかし父なる神は、どちらの私たちにも「帰ってきてほしい」と待っておられます。

父なる神の愛こそ、私たちにとっての「帰るべき家」です。 教会は、この父なる神の愛を共に確かめる
場所です。 聖書を通して神の愛を知り、その愛に生かされる歩みをしていきましょう。
 
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