(子ども祝福式) |
「命を捨てるほどの愛」 | 2006年11月12日 松下 信 牧師 |
ヨハネの手紙第一 3:16 | ||
T.人を殺してはならない なぜ人を殺してはならないのでしょうか? 神さまが「殺してはならない」と命じておられるからです。また、人間は神さまの作品であり、 神のかたちに造られているからです。 今、いじめられた中学生や小学生が日本各地で自殺しています。いじめはいけないことですが、 自殺もいけないことです。尊いいのちは神さまのものです。 自殺は美しく勇気あることではあ りません。 自殺は卑怯(ひきょう)なことであり、現実からの逃避なのです。 U.嫉みによる殺人 さて、カインとアベルという兄弟がいました。 兄のカインは土を耕す者、弟のアベルは羊を飼う者となりました。 ある時期になり、カイン は地の作物から神さまへのささげ物を持ってきました。 アベルも彼の羊の初子(一番はじめ に生まれた子)の中から一番良いものを持って来ました。 神さまはアベルとそのささげ物に 目を留め、カインとそのささげ物には目を留められませんでした。 それで、カインはひどく 怒り、顔を伏せました。 カインは弟のアベルを嫉(ねた)み、彼に襲いかかり殺してしまい ました。 V.「腹を立てる」ことは殺人 あなたは人殺しはしていなくても、お友達を「心の中で消してしまった」ということはあり ませんか。友達が自分の思い通りになってくれないので「腹を立てる」ことがないでしょうか。 もし、「ばか、死ね」と言ったり、腹を立てることがあったら、お友達を殺したことと同じだ とイエスさまは言われました。 私たちの心にあることが行いとなるからです。私たちの心の中をきれいにきよめてもらわない なら、殺人は決してなくなりません。 【 結 論 】 どのようにしたら、私たちの心の中をきよめてもらうことができるのでしょうか。 むかしイスラエルでは、罪を犯した人は自分の牛や羊などを殺して神さまにささげ、罪を告白 して神さまに罪を赦してもらいました。 牛や羊などの動物ではなく、イエスさまも小羊のささ げ物となりました。 私たちの身代わりとなって、イエスさまは死なれたのです。 十字架に付けられて死なれることで、私たちの罪を赦しいのちを救ってくださいました。 「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。 それによって私たちに愛がわかったのです。 ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」 (ヨハネの手紙第一3:1) 私たちはイエスさまの十字架の愛によって、人を殺す者ではなく、人を生かす者と変えられる のです。 イエスさまを信じるなら愛の人に変えられます。 実際に自分のいのちをあげることは非常に難しいことかもしれませんが、愛の心をあげられる と思います。 愛の心は 「やさしさ、思いやり、喜び、平安、希望、勇気、知恵、大好き、上手だね、 いい子だね、ここにいてもいいよ、仲間に入ってもいいよ、ありがとう・・・・など」です。 この愛の心がお友達を励まし 力づけることができるのです。 |