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「神の御使いはみな、彼を拝め」 2006年12月3日

松下 信 牧師
ヘブル人への手紙1:1−14
「イエス」とはいったい何者なのでしょうか。神でしょうか、人でしょうか、それとも天使で
しょうか。
マタイの福音書はイエス・キリストの系図に始まり、続いて彼の誕生の次第が記してあります。
この系図を抜きにすれば、18節が新約聖書のはじめのことばになるわけです。
1章18節のみことば 「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフ
の妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になった
ことがわかった」 は、何と衝撃的なことばでしょうか。
イエスが人であったということは疑いをさしはさむ余地がありません。彼の系図自体が、この
ことの十分な証拠なのであります。 彼はアブラハム直系の子孫でした。 イエスは私たちと
同様に、人間としてお生まれになられたお方であります。
   1.イエスは真の人であります。
   2.イエスは真の神であります。
   3.御子イエスは、御使いよりも勝るお方であります。
   最後に、神の御使いはみな、彼を拝め



6節のみことばに注目していただきたいと思います。
「さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。『神の御使いはみな、彼
を拝め。』」このみことばは、御子イエスを御使いたちの礼拝を受ける方として示しています。
このみことばは、モーセの歌の結論である申命記32章43節の七十人訳によく似ています。
 「喜べ、天よ、彼らとともに。神の子たちは彼を拝め。 喜べ、諸国の民よ、御名とともに、
神の御使いはみな、力を彼に帰せよ。なぜなら主が今ご自分の子たちの血のかたきを討ち、
またこれからも討ってくださるから、敵に罰をもって報いてくださる。 主を憎む者にさえ報
いてくださる。ご自分の民の地を清めてくださる」「長子をお送りになるとき」の「とき」と
いうことばが示しているのは、キリストの受肉でも再臨のときでもありません。
すなわち、「とき」とは、キリストが世界を相続される時です。
世界を統べ治めたキリストが、高く上げられて、神の右に着座された時に、御使いたちはキリ
ストに完全に仕える者となります。
御子の即位が始まると、世界は御使いたちにではなく、御子に従うようになります。


【 結 論 】
 私たちも御子に従う者として、御子の御前にひざまずきたいと願います。
御座に着座されている御子ではなく、再臨の御子でもありませんが、私たちは幼子として、人
としてお生まれになられる御子を礼拝したいと願います。
 今年もクリスマスを迎えます。あなたは神であり、人である御子、御使いよりも勝る御子を
どのようにして心の中にお迎えするのでしょうか。  

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