「光の子どもらしく」 | 2007年3月4日 松下 信 牧師 |
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エペソ人への手紙5:1−14 | ||
1.暗闇そのもの 異邦人と呼ばれている小アジアに住むキリスト者たちは、もともと「暗闇」でありました。 パウロは「あなたがたは暗闇の中に居た」と言っているのではなく、「あなたがたそのものが暗闇である」 といっているのであります。 「暗闇」とは何でしょうか。それは比喩であり、「悪」を指し示している ことばです。また、「宗教的、道徳的な暗闇のことであり、罪によってもたらされるものです。暗闇は、 神を信じない人々を指しています(ローマ13:12−13、エペソ5:3−5)。」 闇の世の特徴は、ゆがめられた本能の現れであり、性秩序の乱れがその代表的なものです。そして、 その行き着くところが、不品行、汚れ、むさぼりという偶像礼拝なのであります。 パウロは「不品行、汚れ、むさぶり、みだらなこと、愚かな話、下品な冗談」(5:3−4)は、ことごとく 不純な性欲や肉の欲望から発するものであり、そのような行為から遠ざかるように命じています。 もちろん汚れたことばを口にすることさえ禁じているのです。 今日、何と多くの偶像礼拝が教会に入り込んでいることでしょうか。しかも、私たちは偶像礼拝をしてい ることさえ自覚できないほどに、霊的に麻痺した状態に落ち込んでいます。 当時のギリシヤ・ローマ世界 においては、性的不道徳は罪深い行為とはみなされていませんでした。性的行為そのものが宗教行事と結 びついていました。ギリシヤ人の世界では、愛の女神アフロディテの神殿には娼婦がいました。人々は 宗教と売春が結びついても、それらのことが悪いことであるとは思いませんでした。 2.暗闇から光へ キリストに出会い、キリストの知恵と力によって心の中に光を照らされた者だけが、この暗闇の世界か ら光の世界へと移されるのです。キリストの光に照らされて、人ははじめて、そうしたゆがめられた本能 の欲求が「口にするのも恥ずかしいことだ」(5:12)と理解するようになるのです。 闇の世界に属する人々は、霊的に「眠っている人」であり、「死者」であります(5:14)。彼らは呼びさま され起こされる必要があります。新しい命に目覚めさせられた人々は、キリストの光に照らされ、光の中 に移されることによって、はじめて、自分がかつては「暗闇」であったことを自覚するのであります。 3.光の子どもの祝福 「光の中に生きる」「光となる」とは、なんとすばらしいことでありましょうか。そこには豊かに実が 結ばれる世界があります(9節)。また、光の子として生きることは、神の愛の中に生きることでもあります。 イエスさまが御自身をおささげになったほどに、私たちクリスチャンひとり一人を愛しておられるのであ ります。 私たちはキリストの愛の中に、そして光の中に生かされているのです。 【 結 論 】 私たちが愛と平安と喜びに満ちた人生を歩みたいと願うなら、新しい人を着なければなりません。 新しい人を着ることは、光の子どもとして光の中に生きることであり、本当にしあわせな祝福された生活 が保障されることなのです(エペソ5:7−10)。 |