「神の箱とわざわい」 | 2007年6月10日 松下 信 牧師 |
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サムエル記第一 5:1−12 | ||
紀元前1100年頃、イスラエルは士師時代から王国時代へと変化をとげようとしていました。 祭司サムエルによって治められていたとき、イスラエルはペリシテとの戦いに負けました。 ペリシテ人に奪われた神の箱は、エベン・エゼルからアシュドデに運ばれ、ダゴンというペリ シテの神の宮に安置されました。翌日、翌々日とアシュドデの人たちが朝早く起きてみると、 ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせなって倒れていました(3、4節)。 勝利しただけでなく、神の箱をも手に入れたペリシテ人たちは上機嫌でありました。彼らは このことで、勝利や繁栄などの祝福さえも手に入れたと喜んだのです。しかし現実はそれほ ど甘いものではなく、彼らが思い描いていた理想とは全く異なるものでありました。 ペリシテ人の町々を神の箱が巡回している間に、イスラエルの神はぺリシテに対して幾つか のさばきをくだされることで、彼らを苦しめたのです。 @ダゴンへのさばき ダゴンは顔は人間・下半身は魚というペリシテ人の主神で、豊穣を祈願するために祭られた のではないか?と考えられています。「ダゴンの像ではなく『ダゴン』そのものが主の箱に 礼拝をささげた(3、4節)」とペリシテ人はこの事件を評価しています(7節)。 まさにダゴンは主にさばかれたのであります。 Aアシュドデとその地域を脅かす(6節) 6章17、18節などを見ますと、ねずみがアシュドデとその地域に増え広がり、穀物を食べつ くし、さらには伝染病がねずみを媒介に、彼らの全領土に蔓延して荒廃をもたらしました。 穀物を食べ尽くされることは、豊穣の神であるダゴンの面目を傷つける大きな痛手でありま した。 Bペリシテ人に腫物ができた 「彼らに腫物ができた」(9節)をユダヤ教のラビは「隠しどころを(腫物で)打つこと」と考え てきました。不潔と恥の局部であるからこそ、この疫病は効果的に治療されず猛威を振るっ たのではないかと思われます。 「男らしさ」の源に焦点を合わせた主の厳しいさばきがここにありました。 【 結 論 】 ペリシテ人はその苦しみの極みに至って、自分たちの力の限界を知り、天地創造の主に助け を求めて叫んだのであります(12節参照)。 このペリシテ人の叫びは「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう」 (4:3)というイスラエル自身の叫びと共通するところがあります。ペリシテもそしてイスラ エルも共に苦しみの中で、主に助けを求めたのであります。 最終的にペリシテを腫物の 災いから救ったのは、目に見えるダゴンでもなく、また神の箱でもありませんでした。救い は、主の御手によってもたらされました。 見えないけれども確かに生きておられ、全世界 の創造者であり支配者であるイスラエルの神の御手によったのです。そして、イスラエルを ペリシテから救われたのも主の御手によることを、私たちはしっかりと心に止めたいと思い ます。 |