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「家庭における基準 ―夫と妻― 」 2007年7月1日


松下 信 牧師
エペソ人への手紙5:22−33
家庭の土台は夫と妻であります。家庭が平和で喜びに満たされるために、そこにはルール(きまり)
が必要になります。主はパウロを通してエペソの教会の兄弟姉妹に、そして私たちクリスチャン
に、夫と妻の間にある人間関係のルールを定めておられます。 
それでは、その基本的な教えを見てゆきましょう。


1. 妻たちに対する命令「自分の夫に従いなさい」
「主に従うように」(22節)、「教会がキリストに従うように」(24節)夫に従いなさいと命じられ
ています。神と人間の間にある秩序を保つために、教会はキリストに従います。
もし、教会がキリストに従わなくなったら、教会はキリストのからだではなくなります。
同じように、家庭の秩序を守るために必要なことは、妻が夫に従うことなのです。


2. 夫たちに対する命令「自分の妻を愛しなさい」

「夫は自分のからだのように妻を愛する」(28節)ことを求められています。「キリストが教会を
愛するように(=自分の身をささげたように)」(25節)、そのように妻を愛さなければならないので
す。 キリストが教会のために十字架の上でご自身の命を捨てられたのは、教会を愛する故であり
ました。 それは、教会をきよめてキリストの御前に立たせるためでありました。 
そうなのです。 教会はキリストの花嫁として飾られ、キリストと結ばれて一体となったのであり
ます。 キリストがかしらであり、クリスチャンはキリストのからだとされたのです。 私たち信者
は、キリストをかしらとする聖なるみからだの一部分なのです。私たち一人ひとりが集められて、
キリストのみからだが形作られているのです。 これが共同体である教会であり、神の家族なの
です。 
私たちが互いに愛し合わないで、どうして教会の中に平和が生まれるでしょうか。 
私たちがキリストに従うことをしないで、この群れにどうして一致がもたらされるでしょうか。 
キリストは教会のかしらです。 教会がキリストに従うのは当然ではありませんか。
これと同じように、夫は妻を愛するべきであると、パウロは命じています。


【 結 論 】
現代社会の中でクリスチャンがみことばに従うことは、多くの困難があると思います。未信者の
ご主人であっても従うべきでしょうか。 たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻は夫に
従いなさいと聖書は命じています(Tペテロ3:1)。 また、毎日暴力をふるい続ける夫にも、
従い続けなければならないのでしょうか。 このような状況の変化に対しても私たちは、ふさわし
い答えを求めてゆかなければなりません。 


聖書はあなたが暴力を受けて障害者になり、また命を落とすところまでも、従うことを強制しては
いません。 しかし、私たちは家庭生活の基準として、聖書の教えを大切に守っていく必要があり
ます。 そして、この教えに従う時に、私たちの家庭は祝福され、平和をいただき、喜びに満たさ
れる家庭となり、さらに繁栄さえも受け取ることができるのではないでしょうか。  
「それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい」(33節)


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